山崎浩子についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)

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山崎 浩子(やまさき ひろこ、1960年1月3日 - )は鹿児島県揖宿郡出身の元新体操の選手・タレントスポーツライター。身長154cm。血液型はB型。

目次

新体操選手時代

3歳から中学までは種子島で育つ。 新体操の名門鹿児島純心女子高校時代から始めた新体操では、全日本選手権5連覇の偉業を成し遂げる。新体操がオリンピック種目となった最初のロサンゼルスオリンピックでは8位に入賞を果たし、新体操ブームを巻き起こした。

引退、統一教会騒動から現在まで

1984年のオリンピック出場後、同年内に引退した。その後は新体操スクールを開校して後進を指導する傍ら、タレントとして様々なテレビ番組に出演する。TBSテレビのかつての人気番組だった『クイズダービー』では、斉藤慶子の後を引き継いで、約2年10か月(1985年4月~1988年2月)の間、8代目2枠レギュラー解答者として出演。正答率は2割7分6厘(平均2勝6敗ペース)だった。

1992年8月25日、桜田淳子女優)、徳田敦子(バドミントン元世界チャンピオン)などと共に統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加し、世間を驚かせるが、家族や牧師の説得を受け、脱会を決心し、翌1993年4月21日、記者会見で統一教会からの脱会と結婚相手との結婚解消を発表[1]。この涙の会見で「マインドコントロールされていました」と発言したことで、「マインドコントロール」という言葉が世間に広まった。山崎は合同結婚式への参加から脱会・婚約解消に至るまでの経緯を『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋)という手記として出版した。

騒動が一段落した後は、アテネオリンピック強化委員会新体操強化副本部長を務め、競技の解説もした。その後、財団法人日本体操協会理事、2004年春には北京オリンピック委員会新体操強化本部長に就任してフェアリージャパンを率い、新体操の再生を図っている。スポーツライターとしてあらゆるスポーツをカバーするほか、各地での新体操指導、イベント出演等、ダンスドラマなど幅広い活動をしている。

クイズダービー関連

山崎は『クイズダービー』で斉藤慶子の後を引き継いで、約2年10か月(1985年4月~1988年2月)の間、8代目2枠レギュラー解答者として座り、右隣の1枠レギュラーで当時学習院大学教授だった、篠沢秀夫に勝るとも劣らぬ珍解答ぶりを発揮していた。正答率は2割7分6厘(平均2勝6敗ペース)の成績で、前2枠レギュラーの斉藤や篠沢の後の1枠レギュラー・北野大とほぼ同じだったが、稀に難しい問題で正解する事もあり、意外な部分をよく見せていた。特に難問では、思いついた答えを複数書いた後に、なかなか選び切れずに時間を費やしていた為、司会の大橋巨泉には「ひろこ!早くどれか一つにしなさい!!」とよく注意されている。その中の1つを選んで見事に正解させた事もあったが、折角正解を書いていたのに消して違う解答を選んでしまい、巨泉に「消さなきゃ良かったのに…」と言われた事もよくあった。

また、山崎の最多連敗は20連敗で、長山藍子と並んで歴代ワースト4位の記録となっている。不正解にはその長山と同様に、特に一般問題では篠沢と全く一緒になるケースが多かった。巨泉曰く「教授の怪電波が左隣の席まで炸裂してますねえ」と失笑するが、山崎は思わずため息をつき、教授に向かって「ダメですよ~」と、嘆きながら苦笑いする事がよくあった。それでも逆に、篠沢と山崎の二人だけが正解するという珍しいパターンもあった(巨泉は「1枠と2枠だけが当たるなんて余りに奇っ怪な現象です」と驚いていた)。山崎の最高成績は5勝3敗(第595回、1987年6月20日放送時など)で、山崎の好調時には3枠レギュラーのはらたいらの成績と一緒だったり、4枠レギュラーの竹下景子の成績を上回っている。また、本当の名前の読みは「やまさき」なのだが、巨泉から紹介される際は「やまざき」と言われた時もあった。

さらに山崎は「ひとりをのぞいてみんなおんなじこたえ!」と、巨泉からその言葉を聞いた途端、すぐさま手を挙げて、何らかのリアクションを起こしながら「(その一人は)絶対に私です!」と嘆いた事がよくあった。そして、篠沢ほどではないものの、実際に山崎1人だけ不正解の時が多かった。逆に巨泉から三択問題などで「山崎さん、(その一人は)あなたでは有りません!」と言われると、山崎は「分かった!その一人だけ当たってるの!(竹下)景子さんでしょ!?」と巨泉に言い返したりするなど、山崎自身は必ず不正解である事を強調していた。

山崎がレギュラーに間もない頃、「強くて厚い鬼のパンツはいったい何で出来ているのでしょう?」という問題が出た時、全く分からなかった彼女は、散々考えた挙句の末「はらさんと同じ」という、余りにふざけた解答を書いた事件を起こしている。この山崎の珍解答に、左隣のはらを初めとする解答者達や会場全員は大爆笑。そのはらは勿論正解(答えは「つらの皮」)だったが、その後巨泉に「浩子のつらの皮も相当に厚いようだな!」と呆れられた、という。この事件に山崎自身も、後年エピソードで何度か語っている。

他には「落語には将軍が屁をすると諸大名がゴマをするという話が有りますが、水戸候が『草木もなびく君のご威勢』というと一人も負けずに『武運長久』と言います。では紀州候は漢字四文字で何と言ったでしょう?」という問題も山崎は全く分からず、ふざけて「教授一緒」と書いていた(正解ははらの「天下太平」)。

第596回(1987年6月27日)放送の第一問目「マドンナの顔には、セクシーで特徴的なホクロが1つ有りましたね。顔の絵を描いて、その位置を示して下さい」では、山崎が解答を描こうとするも「このまま描くとこのまま写るんですよね?」と左右の区別が分からなくなってしまい、巨泉から「だから右は左に描き、左は右に描きゃいいんだよ」とアドバイスを受ける。だが山崎はその意味が分からず(自分から見て右なら向かって左にホクロを描き、左なら右に描くという意味)「(自分から見て)鼻の左下」にホクロを描いて不正解。巨泉の「左側じゃないんです。その絵では左側でしょ?」の問いに山崎が「ううん、右」と反論。それに対し巨泉は「どうしてだよ、だから右へ描けば左、左へ描けば右って言ったじゃない」、篠沢には「鏡じゃないんだから」と指摘されるも、山崎は納得出来ない様子。さらに巨泉の「自分の顔をその下(後方のモニターの下)へつけてごらん」の指示に、山崎は手元の解答を描いた場所に顔を近づけた為、巨泉は「そこにじゃないよ、バカだなぁ!後ろに描いてある(モニターの)絵!!困った子がいるなぁ…」と呆れ、会場は大失笑。それでも山崎は「だから、私はココ(自分から見て鼻の右下)のつもりだったんですよぉ~」とモニターに指を差して食い下がるも、勿論正解成らず。結局は巨泉の「(自分の顔を使ってホクロの)描いてある所、押さえてごらん」に対し山崎は(自分から見て)鼻の左下を差し、巨泉に「ほら、ピッタリじゃない。左じゃないんです」と言われてしまった(正解ははら・竹下・ゲストの京本政樹の「(自分から見て)鼻の右下」)。

第624回(1988年1月23日)放送の歌詞問題、バラクーダの「東京の女」より「さてこの(1年前に別れた赤坂の)美女、たった一つ欠点が有りました。ニコッと笑うと、どんな点が不気味だというのでしょう?」では、巨泉が山崎の解答を開ける前に「やはり、勘違いをなさってる方が一人だけいらっしゃいますね。当然会場の皆さんはみんな浩子の方を見ています、よくご存じですねえ」とコメント。山崎は「アレッ、ワタシですか?私、(篠沢)教授かと思った」と苦笑すると、巨泉は山崎に対して「教授じゃないよ!お前ね、これは時代劇の話じゃ無いんだよ」と言い放つ。その山崎の珍解答は「おはぐろをしていた」。巨泉は「そりゃブキミですよ!でも今、1年前に別れた赤坂の女で『お歯黒』してる人なんていないでしょう?」と呆れながら語った(正解ははら・竹下・湯原昌幸の「金歯が光る」)。

第626回(1988年2月6日)放送の最終問題で、「ある時、ドイツアルベルト・アインシュタイン博士が相対性理論を分かり易く説明しました。『美人と一緒にいる1時間は1分に思えるが、[?]の上に座った時の1分は1時間に思える。それが相対性というものです』。さて、とても我慢して座っていられない、何の上だと言ったのでしょう?」では、山崎はなんと「ウンコ」と女性らしからぬ珍解答を書いている。会場全員は当然爆笑の中で、巨泉は「そんな事言うわけ無いだろう!!アインシュタイン博士が…」と激怒すると、山崎は「だって…」と頭を掻いていた(正解ははらの「ストーブ」)。

レギュラー時代の山崎は、色々と風変わりな髪形をして来るせいか、巨泉にはよく「なんだその化け物みたいな頭は?」「ヒロコはヘアースタイルの事ばっかりしか考えてない」とまで言われていた。また当時「ロートZi:」を読めなかった(1987年5月)。本人曰く「舌が短い」らしいとの事であり、その後巨泉から「来週『Zi:(ジー)』を言えなかったら首だからね!」とけなされりもしていた。それでも、1枠レギュラー解答者の篠沢教授らに励まされ、長く2枠レギュラーを務めた山崎だったが、ソウルオリンピックの準備等で忙しくなり、第627回(1988年2月13日放送時)を最後に、惜しまれつつレギュラーを降板した。

それでも、その後2枠レギュラーとなる井森美幸が、かつて5枠ゲストとして2回目に登場した時(第620回、1987年12月19日放送分)の珍解答ぶりには、山崎自身大変驚いたらしく、次の週の冒頭で「お見逸れしましたね、井森さん。もうかなわないです。私自身、年を感じましたね」という発言をしている。そして井森が3回目のゲスト出演となった際(第625回、1988年1月30日放送分)、最初の問題で井森がまたしても珍解答を披露していたが、この時既に巨泉が「ホレ、ね!?いよいよ山崎浩子の時代も終わりを迎える感じとなってまいりました!」と、近日中に山崎のレギュラー降板、井森の新レギュラー決定とを示唆していた。

山崎が久々に5枠ゲスト解答者として復帰出演した際(第658回、1988年9月17日放送分)、4問目の三択問題で「一人を除いて皆同じ答え!」と成った時、巨泉曰く「伝統が蘇って参りました、せーのどん!」と全員の解答を開くと、やはりまた山崎だけ不正解となってしまった。巨泉から「どうしてお前はいつまで経ってもそうなるんだ?」と呆れた感じで質問されると、山崎は「目立ちたいんです!」と苦笑いを浮かべていた。この日の6問目の歌詞問題でまたもや「一人を除いて...」と成ったがこの時は正解した(1枠の北野大のみ不正解)。このゲスト出演時の山崎の成績は、2枠の井森美幸と同じく3勝5敗と健闘した。その後も巨泉の司会引退時の1990年3月と、『クイズダービー』最終回時の1992年12月に、山崎は2回ギャンブラーとして出場しているが、共に10万点を超す好成績を修めている。また、前述の統一教会騒動の渦中にあった1992年12月に解答者として一度ゲスト出演したこともある。当時は番組最末期の週代わり準レギュラーになっており、かつての「相方」である篠沢秀夫の指定席だった1枠に座り3勝5敗(前半は5問全問不正解だったが後半は3問すべて正解)の成績であった。

脚注

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著書・参考文献

  • 山崎浩子著『センス - スポーツを楽しむには"優れた感性"が必要だ』ISBN 978-4777902316(2004年12月)エイ出版社
  • 山崎浩子共著『コーディネーション・エクササイズ - スポーツ種目別』ISBN 978-49158731402004年9月)全国書籍出版
  • 山崎浩子著『山崎浩子の新ボディ改革 - 新体操エクササイズで体脂肪ダウン! 』ISBN 978-40723418102002年10月)主婦の友社
  • 山崎浩子著『引退 - 終わらない夢』ISBN 978-48709936172000年7月)エイ出版社
  • 山崎浩子著『愛が偽りに終わるとき』ISBN 978-4163489001 (1994年3月) 文藝春秋
  • 山崎浩子著『失敗という名のレッスン』ISBN 978-40620675771994年2月)講談社
  • 山崎浩子著『山崎浩子の楽しい新体操』ISBN 978-4338085090 (1990年10月) 小峰書店
  • 加茂佳子・後藤忠弘・山田真一(写真)『スポーツのみかた 1 新体操』保育社カラーブックス(1984年8月)
  • 浅井慎平撮影『'84ブラザーカップ新体操写真集~Passion flowers』ISBN 978-49310334431984年7月)日本文化出版
  • 立木義浩撮影、日本体操協会監修『美・コレクション・ブラザーカップ'83新体操写真集』日本文化出版(ゴルフクラシック別冊)(1983年8月)

主なテレビ出演

関連項目

先代:
1978年
麓久美子
1979年-1983年
全日本新体操選手権
女子個人総合優勝
山崎浩子
次代:
1984年1989年
秋山エリカ

外部リンク

山崎浩子

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