チャイナドレスについての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)
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チャイナドレスは、一般的に詰襟で横に深いスリットが入ったボディコンシャスな女性が着るワンピース、またはその意匠を反映した衣服を指す。日本語のチャイナドレスというのは和製英語である。英語ではCheongsam、つまり長い丈のシャツと言う意味の「長衫」の広東語発音が由来。
中国語では一般的にチャイナドレスに該当する衣服を「旗袍」と表記する。清代、支配者であった満州民族貴族を旗人と呼んでいた。防風防寒を意識した詰め襟の衣服は元々彼らが身につける服であった為、「旗人の着る長い上着」から旗袍と呼ばれるようになった。詰め襟で横裾に切り込みが入った意匠は満州民族の民族服の旗袍に由来する。このように旗袍という語は、語源に忠実であれば満州族の伝統的な衣服の内の上着を指すことになるが、現在はこれを旧式旗袍と呼称し、日本語のチャイナドレスとほぼ同等の衣服を新式旗袍または単に旗袍と呼ぶ。
なお、漢民族の伝統衣装は本来は和服と同じ合わせ襟の漢服である。清代以降完全に廃れているが、21世紀に入ってから見直されるようになってきている。
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定義
生地は絹、麻、羊毛、化学繊維等、洋服に採用され得る材質と同等である。
肩のパイピングは袖の布地を分けた洋服風と、一体の布地を断裁した旧式の二種類がある。
襟はおおむね詰め襟だが、旧式旗袍・新式旗袍ともに折り襟も存在する。
左右どちらかに合わせ、脇の高い位置にボタンを配置して止めている大襟、左右の肩と腹部からの3つの布地に分けて胸部をアーチ上に止める枇杷襟、一般的な洋服のように、垂直に襟を付き合わせボタンで止める物など、胸部のデザインは幾種類もある。なお、タイトな旗袍の場合、飾りボタンでは着用が困難ではだける事故のおそれもあるため、襟部は単なる装飾に退行し、背中のファスナーを開閉するようにしている場合が多い。
裾はくるぶし、スリットは膝丈が普通だが、芸能界やパーティドレスに着用される物はこの限りではない。また、マーメードラインにデザインされている場合にスリットを廃止しているものもある。
図柄は派手な吉祥図案(縁起の良い動物や文字などを図案化したもの)を採用されていると、日本で一般的にイメージされている。中国および、華僑・華人の間では、むしろ地味な図柄が一般的だが、吉祥を意識した赤系統の生地もしくは、優雅さを意識した薄い色の生地が好まれる。
歴史
清代に旗人(満州人貴族)の女性は、正装として両把頭に旗人の帽子(旗頭)、服(旗袍)、靴(旗鞋)を身につけていた。旗頭は六角形の形をした人の頭ほどもある飾り物の帽子、旗鞋は10センチ程のヒールのついたラッパ形の靴である。スリットは騎乗の際に脚を横に出し、前からの風を防ぐ目的があった。
光緒年間、満州族支配への不満を募らせていた漢人社会を慰撫するために、旗袍の一般の着用を許可した。一般庶民には結婚用の衣装として流行した。
辛亥革命後、民族意識の高まりの中、洋装の自由さと伝統の折衷を意識して、洋服を旗袍風に改良したデザインが1920年代半ばに登場する。当初のデザインは背心(ベスト)をゆったりと身幅をとり身丈に伸ばしたものであった。発明者が女学生という説、花柳界という説がある。この衣服がチャイナドレスの直接の源流と考えられる。また、スラックスの替わりに西洋風のスカートをあしらった物も女学生のファッションとして流行した。
1930年代に入り、上海にモダンブームが起きる。伝統社会では忌避されてきた腕や脚部を露出する行為が旧社会からの解放として提唱された。日本語のチャイナドレスに該当する衣服はこの時期に登場した新式旗袍を指す物と考えてよい。新式旗袍では、スカートやスラックスを廃止しワンピースに仕立て、スリットから脚部を露出するように改められた。また、胸や腰の曲線を強調するためにタイトなデザインが採用された。チャイナドレスは有閑階級の若い女性や花柳界、芸能界のファッションとして流行した。新式旗袍は上海で流行し始めたので当時は海派旗袍と呼ばれることが多かった。流行は各国の華僑社会、そして戦前の日本のモガにも及んだ。
中国においては、中共政権成立後、百花斉放の時期までは、知識人女性のファッションとして認められていた。しかし、反右派闘争の高まりと共に、旧時代において労働しないことを衒った衣服として、女性の旗袍は男性の長袍とともに否定されるに至った。1958年にブカレストで開かれた博覧会場で数十着のチャイナドレスが展示されたのを最期に、公式の場所で肯定的に扱われることはなくなった。また、劉少奇国家主席時に夫人が外遊時に着ていたことがあり、文化大革命において、外国に媚びた服装として批判を浴び弾劾された。チャイナドレスの着用が拷問と獄死の理由とされたのである。そのため、紅衛兵の追求を避けるために、一般家庭では古着のチャイナドレスを秘かに廃棄した。
1980年代、公式イベントでコンパニオンが深いスリットのチャイナドレスを着用して登場したことが契機となり、チャイナドレスへの弾圧は解除されていった。特に2000年公開の映画花様年華の影響によりブームが起きた。現在では、芸能界やパーティドレスとして着用されることが珍しくなくなっている。
香港や各国華僑社会では、共産党支配から逃れてきた知識人や有閑階級の女性たちが好んで着用したため、1960年代までは女性の外出着として定着していた。
台湾では、蒋介石政権とともに流入した中国人(外省人)女性が着用していたため、台北を中心に一時的に流行を見た。1970年代以降、日本からのファッション情報が多く入るようになると廃れていった。今では、芸能界や外国人相手の接客業で見られるだけとなり、台湾人女性の間では大変イメージの悪いファッションである。台湾に限ることではないが、日本の中華街など観光客を当て込んだみやげ物屋では派手なチャイナドレスをよく見かけるが、あくまでも日本人向けのジョークグッズの類と考えた方がよい。このような物が当地の人々の日常服であったり伝統服として認識されたりすることはない。
日本では、戦前のモガブームの頃からパーティドレスの一種として好まれてきた。また、2000年前後詰め襟などの意匠をあしらったファッションが一時的に流行したことがあるが、中国での反日運動の高まりと前後して廃れている。
その他
- ベトナムのアオザイは18世紀にベトナムにチャイナドレスが移植され独自の発達を遂げたもの。
- チャイナエアラインの客室乗務員の制服は、チャイナドレスをベースにデザインされていた。旅行雑誌等のランキングで常に上位になるほど人気があった。その為、2007年に制服が変更されたがチャイナドレスベースなのは変わっていない。
- 英語においては、マンダリンドレス(Mandarin dress)やマンダリンガウン(Mandarin gown)とも呼ばれる。
- 現在、華僑華人社会および台湾において、礼服として着用される詰め襟、飾りボタンの上着は一般的に「唐装」と呼ばれている
参考文献
- 『チャイナ・ガールの1世紀—女性たちの写真が語るもうひとつの中国史』 (ISBN 4883032450)
- 『チャイナドレスをまとう女性たち—旗袍にみる中国の近・現代』 (ISBN 4787232371)
