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| 池田 大作 | |
|---|---|
| 生誕 | 1928年1月2日(82歳) |
| 職業 | 宗教家、作家 |
池田 大作[1][2](いけだ だいさく、1928年1月2日 - )は、宗教家、教育者、作家、詩人。
日蓮仏法を信仰し、広宣流布を推進する宗教法人・創価学会の名誉会長[3][4][5][6]、SGI(創価学会インタナショナル)会長、創価学会元会長(3代目)、公明党創設者。
山本 伸一(やまもと しんいち)、法悟空の筆名で作家活動もしている。
目次 |
来歴
入信以前
- 1月2日 東京府荏原郡入新井町大字 不入斗<いりやまず>(現:東京都大田区大森北)[7][8][9]に海苔業者[10][2]の父、子之吉(ねのきち)と母、一(いち)の間の第6子(5男)として生まれる[11][12]。
- 3月 尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鐵工所」に就職[9]。
- 4月(?)に高等小学校(後に「萩中国民学校」と改称)に進学[13][10]。
- 少年・青年時代に多くの在日コリアンと出会い、父から韓国語を習う[14]。
- 8月15日 6度目の結核による肋膜炎を患う。茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える[10]。
- 9月 新橋にある「昭文堂印刷」で文選工をする傍ら、私立の「東洋商業高校」(現、東洋高等学校)夜間部の2年に編入学する[7]。
- 東京都大田区森ヶ崎にある「協友会」に加入[15][16]。
- 10人余りほどの青年たちと国家や人生や天皇制などを議論する「郷友会」という研究会(読書会)を作り、学者や労働組合の指導者を訪ねたりする。
- 高校卒業と同時に「昭文堂印刷」を退社。半年後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合「蒲田工業会」(現:「蒲田工業協同組合」)に書記として勤務[17]。
入信以降
- 3月、東洋商業学校を卒業。
- 8月14日 小学校時代の同級生の女性から「仏教や哲学のいい話がある」と誘われ、「協友会」の仲間で小学校の同級生の二人と共に蒲田(大田区北糀谷)の創価学会員宅で行なわれた座談会に出席。戸田城聖(4年後に創価学会の第2代会長となる)の御書講義を受け、教学部長の折伏を受けて、入信を決意し、8月24日、創価学会に入信手続きを行なう[18][16]。入信したことで、家からは勘当状態になる。
- 「大世学院」(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。
- 1月3日 座談会に誘われた女性の母親に、戸田を紹介してもらい、戸田が経営する出版社「日本正学館」に入社[10]。少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。
- 5月 「日本正学館」編集長に就任[7]。
- 秋 戸田から自分が勉強を教えるからやめろと勧められ、「大世学院」を2年で中途退学する[19][20]。
- 10月 「日本正学館」の倒産により、同じく戸田が経営する、金融業「東京建設信用組合」に日本正学館の全社員と共に入社。
- 8月22日 「東京建設信用組合」が大蔵省から営業停止を命じられる。戸田は事業破綻の影響が及ばないように創価学会の理事長職を辞任。
- 10月 戸田が新しく設立し、顧問となった、手形割引を主業務とする金融会社・「大蔵商事」(現:「日章」)に移動。
- 11月27日 営業部長に昇格し[13]、業績を上げる[21]。
- 5月3日 戸田城聖が創価学会の第2代会長に就任。
- 5月 蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。
- 7月 戸田会長直属の青年部(男子部)が結成され、第4部隊の幹事長に任命され、間もなく第1部隊長になる[16]。
- 2月9日 戸田会長の信頼を得て、創価学会青年部の教育参謀に任命される[19]。
- 3月 参謀室長となる。青年部1万人総登山や、体育大会などの斬新な企画を立てる。さらに渉外部長に就任し、対外的交渉を行う。
- 5月3日 砂糖卸会社で重役を勤める戦前からの有力会員の次女、白木香峯子と結婚[7]。 目黒区三田に住む[22]。
- 8月27日 創価学会は日蓮正宗の信徒団体(法華講)として、東京都知事から宗教法人の認証を得る。
- 7月 第4回参議院議員通常選挙において、大阪地方区の選挙参謀を担当し、元プロ野球選手の白木義一郎を初当選させる。
- 7月4日 参議院大阪地方区の補欠選挙が行われた際、渉外部長として6万人の創価学会員に戸別訪問を指示したとする公職選挙法違反の疑いで逮捕され、大阪東警察署と大阪拘置所に15日間勾留される(「大阪事件」)。
- 7月29日 創価学会幹部45人と共に起訴され、検察官より禁固10か月の求刑を受ける[25]。ただし、後に裁判で無罪が確定する。
- 3月1日 日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂落慶法要の後、戸田会長から後継指名がなされたとされる。
- 4月2日 急性心衰弱により、戸田会長が他界(享年58)。4月28日の「学会葬」で司会を務める[26]。
- 6月 自ら新設した総務を青年部参謀室長と兼任[26]。
- 6月2日 第5回参議院議員通常選挙において選挙参謀を務め、全国で249万票を獲得、無所属で立候補した創価学会員6人を当選させる[26]。
- 6月30日 同じ参謀室の北条浩、龍年光と共に「創価学会」の理事に就任。青年部参謀室長からは降りる[26]。
会長就任以降
- 5月3日 戸田の没後3年を経て、32歳の若さで創価学会第3代会長に就任。戸田の7回忌までに300万世帯の信徒獲得と邪教撲滅[27][28]を目標に掲げる。(この当時140万世帯だった創価学会は、池田の指導の下、10数年後には、公称800万世帯[29]を超える国内最大規模の宗教団体となる)。
- 10月 北・南米を訪問し、現地の創価学会員を激励。
- 5月3日 創価学会の「文化部」を「文化局政治部」に挌上げし、「文化局」内に「政治部」を設置[7]。
- 8月24日 最初の『会長講演集』を発刊。
- 11月27日 「文化局」内の「政治部」を解消し、創価学会本部の外郭団体として「公明政治連盟」を発足(委員長:原島宏治、副委員長:北条浩、書記長:龍年光)[7]。
- 10月30日 「EUの父」と呼ばれるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーと会見。
- 5月3日 第27回本部総会において、政党の創設と衆議院進出、ならびに正本堂の建立・寄進の計画を発表。
- 宗門から法華講総講頭に任命される。
- 11月17日 「公明政治連盟」を改組して政党、「公明党」を結成(委員長:原島宏治、副委員長:辻武寿、書記長:北条浩)。結党宣言で、日蓮の『立正安国論』を引用し、「『王仏冥合』・『仏法民主主義』を基本理念とする」旨を謳う。
- 1月29日 第31回衆議院議員総選挙で公明党が25議席を獲得し、衆議院に初進出。
- 前年12月に行われた 第32回衆議院議員総選挙の直前に発刊された、創価学会と公明党に対する批判本に対して、公明党議員らが出版・流通を妨害したとされる「言論出版妨害事件」に関し、年明けの国会で野党議員から証人喚問の要請がなされる(公明党と自民党の反対により、実現には至らなかった)。
- 5月3日 創価学会第33回本部総会において、「言論妨害という意図はまったくなかったが、結果として、妨害と受けとられ、関係者に圧力を感じさせ、世間にもご迷惑をかけてしまったことは、まことに申し訳ないと残念に思っております」[30]と発言した。
- 4月1日 創価大学を創立。
- イギリスの著名な歴史学者アーノルド・J・トインビーと対談。
- 4月1日 アメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のディクソン講堂にて「二十一世紀への提言」と題し講演。
- 5月29日 夫人や幹部らと共に中国を初訪問。
- 9月 ソ連を初訪問し、アレクセイ・コスイギン首相と会見。「中国を攻撃する意思はない」との答えを引き出し、それを中国の首脳に伝える承諾を得たという。
- 10月29日 平和・文化の推進のため海外での活動期間が多くなっているという理由で創価学会の代表役員を辞任し、北条浩が代表役員並びに理事長に就任。
- 11月 『中国の人間革命』(毎日新聞社刊)を出版。(中国の文化大革命については、広い国土ゆえに生じる地域格差がある国を巨大な官僚機構が統治することによる弊害であったとしている。文革解放後の中国についての「発展性」については高く評価した)。
- 12月5日 再び訪中し、周恩来首相と会見した。
- 12月29日 作家、松本清張の仲介により、日本共産党の宮本顕治委員長と松本の自宅で密かに会談。創価学会と日本共産党とが互いの存在を認め、相互不干渉を約束する、いわゆる「創共協定」を結ぶ(発表は約7ヶ月後の翌1975年7月)。
- 創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。昭和54年(1979年)もしくは昭和65年(1990年)までに広宣流布の総仕上げを目標に掲げた。
- 1月1日 創価学会本部において本尊の開眼入仏法要を行う[31][32]。
- 1月 創価学会の世界的組織、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。
- この頃から全国に文化会館等の施設を建設[33]。
- 1月9日 イェール大学客員教授だった加藤周一とニューヨークで会談。
- 創価学会の青年部が中心になって集めた核廃絶・原水爆禁止の1千万人の署名をニューヨークの国連本部で事務総長と会見し、手渡した。
- 池田と創価学会員との関係を報じた月刊誌『月刊ペン』に対し、名誉毀損に当たるとして創価学会及び相手とされた創価学会員らと共に月刊ペン社の発行人と編集長隈部大蔵[34]を刑事告訴(詳細は月刊ペン事件を参照 )
- 8月 宮本委員長から「創共協定」を遵守するようにと、会見を申し込まれるが、拒否。公明党からの異論が大きくなり、「創共協定」は死文化する。
- 1月15日 第9回教学部大会で「仏教史観を語る」と題する講演を行う。寺院否定論など、独自の教義を打ち出し、創価学会独自の経本を作る(「昭和52年路線」と呼ばれる)。これに反発した宗門内の若手僧侶が創価学会の教義逸脱を正すという活動を始める。
- 6月30日 「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを『聖教新聞』紙上で表明する。
- 9月3日 『聖教新聞』が本尊模刻の事実を認める記事を掲載[7]。創価学会側は本尊の謹刻について日達の失念等が宗門内で問題になり、事態の収拾のために他の7体の本尊は総本山へ納められることとなったとしている。
- 10月3日 宗門より「本尊謹刻について一切議論を禁ずる。」旨の院達が宗内に発布される。
- 11月7日 本尊謹刻などについての院達を不服とする一部宗内を治めるため、創価学会創立48周年記念登山代表幹部会として、2千人の創価学会幹部、全国の教師と共に大石寺に登山を行い、本尊模刻を初めとする教義逸脱を謝罪(おわび登山)[7]。
名誉会長就任以降
- 4月24日 宗門との問題で創価学会会長を引責辞任。新しく創設したポストである名誉会長に就任。池田時代は終身制だった会長職は5年の任期と変更し、後任の会長には北条浩が就任。
- 4月26日 法華講総講頭を引責辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日蓮正宗の管長日達より、法華講名誉総講頭の辞令をもらう。
- 5月3日 日達が創価学会第40回本部総会において、宗門の法主、日達が池田名誉会長ら創価学会幹部の反省を受け入れ、問題の収束を宣言。
- 1月25日 「SGIの日」記念提言を発表(これ以後、毎年発表)。
- 6月 ルーマニアを訪問し、大統領官邸で故ニコラエ・チャウシェスク大統領と50分間に渡り会談。「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」との賛辞を贈る[35]。
- 8月8日 「世界保健機関」を初め、国連機関への貢献が評価され「国連平和賞」を受賞。
- 1月2日 日達の後を継ぎ、67世の法主となった 日顕により再び「法華講総講頭」に再任される。
- 7月10日 東京高裁は『月刊ペン』について、被告人である月刊ペン社の編集長隈部大蔵に対して当時の名誉毀損罪では最高額にあたる「罰金20万円」の有罪判決を下した。
宗門との決裂以降
- 10月31日 アフリカ民族会議(ANC)副議長だったN.マンデラと会談。学会の機関紙聖教新聞は、N.マンデラは会見を終える際に「私たちがきょう、ここで得た最大の“収穫”は、名誉会長の英知の言葉です。勲章は、いつか壊れてしまうかもしれない。賞状も、いつか焼けてしまうかもしれない。なくしたり、盗まれてしまうかもしれない。しかし、英知の言葉は不変です」と語り、別れを惜しんだと報道[36]。
- 11月16日 衛星放送で全国の会員に中継された創価学会第35回本部幹部会において、宗門および日顕を批判。
- 12月13日 宗門は、創価学会に対して池田のスピーチの真意を問う文章を提出したが、「出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができない」と創価学会は受け取りを拒否。
- 12月27日 宗門は法華講総講頭に任期制を導入。これにより1990年末の任期終了と共に池田が法華講総講頭の資格を自動的に失うことになる。
- ”JNN”の報道特集で、直撃インタビューされた映像が放映される。宗門との対立については、「より高い次元に行くための現象」と説明、宗門からの独立についてはきっぱりと否定する。
- 11月28日 創価学会とSGIが宗門から破門される。
- 8月11日 池田自身を含む全創価学会員が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。
- 日寛の本尊を創価学会が会員に配布。
- 8月8日 第69回創価学会本部幹部会において、細川連立政権の内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得した[37]と語ったことが、国会で問題となる[38][39][6]。
- 9月24日 アメリカのハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演。
- 4月 『中央公論』1995年4月号において、田原総一朗と対談。14年ぶりに国内ジャーナリストのインタビューを受ける[40]。
- 11月28日 国会の宗教法人に関する特別委員会において、宗教法人法改正の問題で、池田を参考人招致しようとする自民党に対し、公明党出身の新進党議員やその秘書ら約三百人が、佐々木満委員長を委員長室に閉じ込め、 ピケを張り、座り込みをして審議再開を妨害する。
- 11月30日 創価学会の会則上では責任者ではない池田の招致は見送られ、会則上の代表者となっている秋谷栄之助会長を翌月4日に招致することで決着する。
- 12月1日 宗門の「宗規」の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。
- 6月4日 フィリピンのジョセフ・エストラーダ大統領と会談。
- 創価学会は会則を変更し、初代牧口会長、第二代戸田会長、第三代池田会長の「三代会長」を、「永遠の指導者」とする規定を入れる。
- 3月22日 元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフと「聖教新聞社」で会談。
- 4月末~6月にかけて、池田が重病で入院したという情報がマスメディアを書け巡る。脳梗塞や心臓病だとの憶測が飛んだが、創価学会広報室は「風邪と疲労で体調を崩した」とのコメントを出す。
- 12月 アメリカの世界的経済誌『フォーブス』(Forbes、2004年12月27日号)は、2004年9月6日号に「先生の世界」(「Sensei's World」)と題して、池田及び創価学会に関する記事を特集したが、記事内容に多くの誤りがあった事を全面的に認め、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のガイ・マクロスキー主任副理事長の抗議文を掲載。編集部名にて訂正した。
- 3月10日 長男の博正 が創価学会の副理事長に就任。
- 9月22日 首相就任直前の安倍晋三の希望で、極秘裏に東京都内の創価学会の施設で、会談を持ったと主要新聞(『産経新聞』を除く)を初め各種メディア[42]が伝えた[43][44]。
- 9月28日 小泉純一郎からの総理辞任挨拶の申し入れを受け、東京都内の聖教新聞本社で会談[45]。
- 11月30日 東京・信濃町の聖教新聞本社で国際原子力機関(IAEA)のM.エルバラダイ事務局長と会談。
略歴
- 1928年1月2日 東京都大田区に生まれる
- 1947年8月24日(19歳) 「創価学会」に入会、戸田城聖に師事
- 1949年1月3日(21歳) 「日本正学館」(戸田城聖経営)に入社・後に戸田経営の金融業「大蔵商事」に籍を移す
- 1952年5月3日(24歳) 結婚
- 1960年5月3日(32歳) 「創価学会」第3代会長に就任
- 1964年11月17日(36歳) 「公明党」発足
- 1968年(40歳) 「富士短期大学」経済学科卒業
- 1968年4月8日(40歳) 「創価学園」創設
- 1970年(42歳) 公明党と創価学会との分離を表明
- 1971年4月2日(43歳) 「創価大学」創設
- 1975年1月26日(47歳) 「SGI(創価学会インタナショナル)」初代会長に就任
- 1979年4月24日(51歳) 「創価学会」会長職を退き、名誉会長となる
- 1981年 (53歳) 「桂冠詩人」の称号を受ける
- 1983年8月8日(55歳) 「国連平和賞」受賞
- 1985年(57歳) 「創価女子短期大学」創設
- 2001年5月3日(73歳) 「アメリカ創価大学」開学
人物
関連団体の設立
- 政党:「公明党」
- 教育機関:「創価幼稚園」(札幌、香港、シンガポール、マレーシア、ブラジル)、創価学園(東京、大阪、ブラジル)、創価大学(東京、アメリカ)
- 芸能・芸術関連:(財)「民主音楽協会」、(財)「富士美術館」(東京、静岡)
- 学術関連:財団法人「東洋哲学研究所」、「戸田記念平和国際研究所」
- 財団:「牧口記念教育基金会」
執筆
随筆、小説、対談集などの他、仏法哲学の解説書、子ども向けの童話なども執筆している。また、写真家・詩人としても活動している。
人間革命は創価学会を描いた小説で、2代目会長戸田が書いていたのを引継ぎ、『聖教新聞』紙上に、1965年から1993年まで連載。続編の『新・人間革命』を1993年11月18日から現在まで同新聞に連載中。いずれも山本伸一のペンネームで発表している。
2007年3月7日にリリースされたアグネス・チャンの新曲『そこには 幸せが もう生まれているから』の作詞を手がけた(山本伸一名義、作曲はアグネス・チャン)。
対談・講演
国家指導者を初め、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家などと会見を多数行なっている。[49][4]また、海外の大学・学術機関で講演を多数行なっている。
海外の大学・学術機関での講演
- 1974年 『21世紀への提言 -- ヒューマニティの世紀に』 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(アメリカ)
- 1975年 『東西文化交流の新しい道』 モスクワ大学(ロシア)
- 1980年 『新たな民衆像を求めて』 北京大学(中国)
- 1981年 『メキシコの詩心に思うこと』 グアダラハラ大学(メキシコ)
- 1981年 『東西融合の緑野を求めて』 ソフィア大学(ブルガリア)
- 1983年 『文明の十字路に立って』 ブカレスト大学(ルーマニア)
- 1984年 『平和への王道 -- 私の一考察』 北京大学(中国)
- 1984年 『人間こそ歴史創出の主役』 復旦大学(中国)
- 1989年 『東西における芸術と精神性』 フランス学士院(フランス)
- 1990年 『「融合の地」に響く 地球主義の鼓動』 ブエノスアイレス大学(アルゼンチン)
- 1990年 『教育の道 文化の橋 -- 私の一考察』 北京大学(中国)
- 1991年 『新しき人類意識を求めて』 マカオ大学(マカオ)
- 1991年 『平和とビジネス』 フィリピン大学(フィリピン)
- 1991年 『ソフト・パワーの時代と哲学』 ハーバード大学(アメリカ)
- 1992年 『中国的人間主義の伝統』 香港中文大学(香港)
- 1992年 『不戦世界を目指して -- ガンジー主義と現代』 ガンジー記念館(インド)
- 1992年 『文明の揺籃から 新しきシルクロードを』 アンカラ大学(トルコ)
- 1992年 『21世紀と東アジア文明』 中国社会科学院(中国)
- 1993年 『新しき統合原理を求めて』 クレアモント・マッケナ大学(アメリカ)
- 1993年 『人間文明の希望の朝を』 ブラジル文学アカデミー(ブラジル)
- 1993年 『21世紀文明と大乗仏教』 ハーバード大学(アメリカ)
- 1994年 『「人間主義」の限りなき地平』 深セン大学(中国)
- 1994年 『人間 -- 大いなるコスモス』 モスクワ大学(ロシア)
- 1994年 『レオナルドの眼と人類の議会-- 国連の未来についての考察』 ボローニャ大学(イタリア)
- 1995年 『平和と人間のための安全保障』 ハワイ・東西センター(アメリカ)
- 1995年 『21世紀文明の夜明けを-- ファウストの苦悩を超えて』 アテネオ文化・学術協会(スペイン)
- 1995年 『人間主義の最高峰を仰ぎて -- 現代に生きる釈尊』 トリブバン大学(ネパール)
- 1996年 『牧口常三郎 -- 人道と正義の生涯』 サイモン・ヴィーゼンタール・センター(アメリカ)
- 1996年 『「地球市民」教育への―考察』 コロンビア大学(アメリカ)
- 1996年 『新世紀へ 大いなる精神の架橋を』 ハバナ大学(キューバ)
- 1997年 『「ニュー・ヒューマニズム」の世紀へ』 ラジブガンジー現代問題研究所(インド)
顕彰
国家勲章、大学からの名誉学位、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を飾る。2007年10月20日現在において、受賞した名誉称号は223ある(名誉学術称号内訳:名誉博士107 名誉教授101 名誉学長3[50][51])。
これらの勲章、名誉称号は中国の大学から授与されることが多い。このことについて、池田や創価学会を親中派に取り込み、日本の世論形成に影響を与えようと画策している中国政府の意向が働いているという指摘もある[52]。近年は外国の大学[53]より「名誉博士号」を授与されることが多いが、日本の大学からは創価大学を除き、授与されていない[54]。日本では静岡県の富士宮市の名誉市民となっている他、第2代会長、戸田城聖の故郷の北海道の厚田村(現「石狩市」)から「栄誉村民章」(1977年)を授与されている[55]。
「平和活動」
創価学会系のメディアは、池田が精力的に平和活動をしていると度々報じている。その主な内容は上述したような著名人との対談や諸外国の大学等での講演等である。
批判者側からは、池田が平和活動をしているとアピールするのは池田に「ノーベル平和賞」を取らせるための戦略だとの見方がなされることがある。一方で池田自身は「ノーベル平和賞」について、「そのような栄誉はほしくもありません。また下さるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもいいでしょう」と語っている[56]。永年の平和活動への多大な貢献に対し1995年マハトマ・ガンディー民衆福祉財団よりガンディー平和賞が贈られている[57]。1988年、平和と相互理解に功績のあった人物に贈られる「国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞」を受賞し、この他国連より数々の賞(国連平和賞(1983年)、国連栄誉表彰(1988年)、人道賞(1989年) 、平和貢献・国連事務総長表彰(1989年))を授与されている。
中国との関係
これまで10度訪中し、北京、西安、鄭州、上海、杭州、広州、武漢、蘇州、無錫、南京、桂林を訪れている。また、周恩来総理、鄧小平副総理、李先念国家主席、江沢民国家主席、胡錦濤国家主席、温家宝首相、王毅駐日大使、崔天凱駐日大使、唐家セン国務委員、国学大師・季羨林、常書鴻元敦煌研究所所長、作家・巴金等と会見するなど、中国各界の要人と親密な関係にある。
国交正常化への貢献
- 1968年9月8日 「日中国交正常化提言」を発表。
- ※この提言について、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科長の天児慧教授は、「既存の枠組みを超えて、正常化を大きな流れにする面から、大きな意味をもった」と述べている。[58]
- 1974年5月30日 中国の招聘により初訪中。
- 李先念副総理と会見。席上、李先念は、池田による「国交正常化提言」等の活動に対し、「大きな働きをされました。大変に価値あるものです。周総理も重大な関心を寄せておられます。本来なら総理が会って、ごあいさつすべきなのですが、総理は今、病気療養中です。『池田会長にお会いしたいけれども、今回はお会いできないので、くれぐれもよろしく伝えてほしい』と申しておりました」と語った。[59]
- 1974年12月5日 2度目の訪中。
- 鄧小平副総理と会見。その直後、病気療養中の周恩来総理の強い意志により、周恩来と池田との会見が行われる。席上、周恩来は「池田先生とは、どうしても、お会いしたいと思っていました」「池田先生が再三にわたって、中日両国人民の友好関係を発展させねばならないと提唱されてきたことをうかがい、私は大変にうれしかった」「これからは世界の国々が互いに尊敬し、励まし合って進むべきです」「中日平和友好条約の早期締結を希望します!」と語った。
- 2007年4月12日 温家宝首相と会談。
- 温家宝首相は、「贈池田先生/慈航創新路/和諧結良縁/温家寶/二〇〇七年四月」という自筆の書を贈り、「私は、先生のことを、大変、尊敬しています。池田先生は、文化、文学の面において、大変、造詣が深いだけでなく、中日両国の友好のために、自ら多くの努力を捧げてこられました」「私は、先生の著作を読ませていただくときに、これは哲学であり、修養だという気持ちを抱いています」と語った[60]。
青年交流への「貢献」
- 1984年、池田の提案により、「中華全国青年連合会(全青連)」と創価学会青年部との交流が始まる。池田自身が全青連の訪日団と会見した。また、池田が創立した創価大学は、1975年に日本で初めて、新中国から日本への正式な留学生を受け入れた。
教育交流への「貢献」
- 北京大学や中国社会科学院などで記念講演を行っている。また、創価大学との教員・学生の交換などが活発である。さらに、池田の思想・哲学・行動を研究するための機関として、「池田大作研究会」(北京大学)等の研究機関が設立されている。
文化交流への「貢献」
- 1967年に北京芸術団が、池田が設立した民主音楽協会で公演。池田が創立した東京富士美術館で中国敦煌展、北京・故宮博物院名宝展を開催した。
政見
公明党に関して
1976年11月16日に、「天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党ならやる必要はない、私が控えているから心配するな」など公明党議員と記念撮影において述べた[6]。
その他の政見
- 安全保障
- 「憲法改正の論議はいいが、憲法第9条だけは絶対に変えてはいけない。」との見解を持っている[61]。日本は国連の常任理事国入りを望んでいるが、安全保障理事会の機軸である集団的自衛権という考えと、それを禁じる日本の憲法との間には矛盾があるので、「国際連合平和維持活動」(PKO)に参加するために、自衛隊とは別個の組織を作るというのが正しい道であろうと思う」との見解を示した(1991年・第16回「SGIの日」記念提言)。1991年の湾岸戦争の直前には、5人の識者と共に、「戦争回避のための『緊急アピール』」をイラクのフセイン大統領宛に送ったが、「イラク戦争」の開戦が迫っていた2003年1月26日の「SGIの日」を記念しての『聖教新聞』紙上の提言では、「軍事力を全否定するということは(中略)政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」、「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」と武力行使を容認する見解を示した。
- 選挙
- 1999年 SGI(創価学会インタナショナル)の日(1月25日)付の『聖教新聞』で首相公選制を提言。
- 教育
- 『朝日新聞』(2001年5月23日付)の「私の視点」というコラムで、「教育基本法」の見直しについて、「拙速は慎むべきである」、「『教育勅語』に盛られたような具体的な徳目は、基本法の性格になじまないと思う。法文化されれば、必然的に権威主義的な色彩を帯びてしまう」と述べている。
歴史観
豊臣秀吉の朝鮮出兵を、朝鮮から仏教を初め、様々な文化的恩恵を受けたことを踏みにじる侵略だとして強く非難している[63]。
池田本仏論
池田が創価学会会長となった1960年以降、後に離反した福島源次郎など一部の過激な幹部が池田会長を仏であるかのように喧伝。宗門との軋轢を招いた[64]。
1980年の『聖教新聞』において、池田は「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と創価学会会長は指導者であって、仏ではないことを明言している[65]。
1983年10月31日、元創価学会幹部の山崎正友の裁判に証人として出廷した際に、「一部の同志が調子に乗って自分を美化したのでは」という旨を述べている。
マスメディアとの関係
創価学会と関わりのない国民にとっては長らくテレビで見ることがなかったが、2007年には約14年ぶりに、各局のニュースで温家宝と会談する池田の姿が見られた[66]。
関係する人物や団体
- 安倍晋太郎 1985年、大石寺の正本堂完成記念の祝典に岸信介の代理で安倍晋太郎が出席して以来、何度も面会したという。「きれいな心で学会のこと、世界のことなど私と話し合うことを楽しみにして下さったようである」と池田は述べている[67]。
評価
- 冬柴鐵三(公明党元幹事長の衆議院議員、国土交通大臣):「人生で最も影響を受けた人物」として池田大作の名を挙げ、「あらゆる面で影響を受けた」と語っている[68]。
- 遠藤乙彦(元外交官、公明党所属の衆議院議員):「人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生」、「池田先生の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと(世界の)問題が解決していくでしょう」などと語っている[69]。
- 蘇歩青(そ・ほせい 復旦大学名誉教授):「日本人に、桁違いの大人物がいる。それが池田先生だ」(『聖教新聞』 2006年5月7日付)。1984年6月9日、池田を同校の名誉教授とした。
- 石井英朗(東日本国際大学学長):池田が250番目の名誉学術称号を受けた(2009年3月21日)ことに対して「洞察力、審美力、行動力が統合された余人に例のない池田先生の活動の軌跡を見るとき、そこに、人類の共同体的原則を基盤に据えて、人間同士の関係性に信頼と希望を託する池田哲学のスケールを想うのであります。250を数えた今回の栄誉は、私たち日本人の大先輩の偉業として、誇るべきことであります」等の声を寄せている。[70]
批判
- 田中角栄(元首相、自民党元幹事長):秘書の早坂茂三によれば「池田大作はしなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない。公明党は法華さんの太鼓を叩くヒトラーユーゲントだ」と語ったという[8][71]。
- ポーリー・トインビー(アーノルド・J・トインビーの孫娘):「池田氏のように、絶対的権力者の雰囲気をにじみ出させた人物と会ったことはありませんでした。」と語った[72]。
- 石原慎太郎:東京都知事選挙を直前に控えた1999年3月、池田大作に対する人物評価を尋ねたアンケートに「一言で表現すれば、『悪しき天才、巨大な俗物』。」と答えた[73]。
批判する立場になった元幹部たち
- 龍年光(元創価学会幹部・元公明政治連盟書記長・元公明党東京都議会議員)[74]
- 藤原行正(元公明党東京都議会議員)[75]
- 原島嵩(元創価学会教学部長)[32]
- 山崎正友(元創価学会副理事長・元顧問弁護士)[76]
- 竹入義勝(公明党元委員長)[77]
- 矢野絢也(公明党元委員長)[78]
- 福島源次郎(元創価学会副会長)[79]
- 石田次男(元公明党参議院議員)[80]
- 大橋敏雄(元公明党衆議院議員)[81]
エピソード
- 1969年、『月刊宝石』紙上での「話せるなァ、会長は!」と題する青島幸男との対談において、「もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます。」と述べた。池田の女性スキャンダルを書いた『月刊ペン』を告訴した裁判の中で、最高裁の裁判長はこの発言に言及し、「学会幹部の男女問題に疑惑を感じていた者らにとってはやはりそうであったかと思わせる素地につながっていることも否定し難いのである。」と述べた。(最高裁判所 第一法廷1981年4月16日)
家族
- 父 子之吉(ねのきち):生涯、真言宗の信仰を持ち続けた[23]。
- 母 一(いち)[要出典]
- 兄 4人の兄がおり、長兄はビルマ(現:ミャンマー)で戦死[83]。
- 妻 池田香峰子(かねこ)「インド創価池田女子大学」名誉校長。「創価世界女性会館」名誉館長。「創価女子会館」名誉館長。
- 長男 博正:創価学会副理事長。
- 次男(著名活動をしていないので名前は伏せる):1984年10月 29歳で急逝。
- 三男 尊弘: 創価学会の総東京組織の副総東京長。
著書
- 『人間革命』 聖教新聞社
- 『新・人間革命』 聖教新聞社
- 『私の履歴書』 日本経済新聞社
- 『若き日の日記』
- 『忘れ得ぬ同志』 聖教新聞社
- 『心に残る人びと』 角川書店
- 『法華経の智慧』 聖教新聞社
- 『アレクサンドロスの決断』 集英社
- 『青春対話』 聖教新聞社
- 『母の詩』 聖教新聞社(発行部数120万部のベストセラー)
- 『明日をみつめて(Embracing the Future)』ジャパンタイムズ
ほか
共著
- 『文明 西と東』(共著:リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー)サンケイ新聞社
- 『20世紀への対話』(共著:アーノルド・トインビー)文藝春秋
- 『人生問答(上・中・下)』(共著:松下幸之助)潮出版社
- 『人生対談』(共著:宮本顕治)毎日新聞社
- 『人間革命と人間の条件』(共著:アンドレ・マルロー)潮出版社
- 『四季の雁書 - 往復書簡』(共著:井上靖)潮出版社
- 『闇は暁を求めて』(共著:ルネ・ユイグ)講談社
- 『21世紀への警鐘』(共著:アウレリオ・ペッチェイ)読売新聞社
- 『社会と宗教』(共著:ブライアン・R・ウィルソン)講談社
- 『「平和」と「人生」と「哲学」を語る - 対談』(共著:ヘンリー・キッシンジャー)潮出版社
- 『内なる世界 - インドと日本』(共著:カラン・シン)東洋哲学研究所
- 『21世紀への人間と哲学 - 新しい人間像を求めて』(共著:ヨーゼフ・デルボラフ)河出書房新社
- 『吉川英治 人と世界』(共著:土井健司、志村栄一)六興出版
- 『「生命の世紀」への探求 - 科学と平和と健康と』(共著:ライナス・ポーリング)読売新聞社
- 『敦煌の光彩 - 美と人生を語る』(共著:常書鴻)徳間書店
- 『世界市民の対話』(共著:ノーマン・カズンズ)毎日新聞社
- 『対談・太陽と大地 開拓の曲 - ブラジル移住八十年の庶民史』(共著:児玉良一)第三文明社
- 『大いなる魂の詩』(共著:チンギス・アイトマートフ)読売新聞社
- 『「宇宙」と「人間」のロマンを語る - 天文学と仏教の対話』(共著:チャンドラ・ウィックラマシンゲ)毎日新聞社
- 『科学と宗教』(共著:アナトーリ・A・ログノフ)潮出版社
- 『21世紀の人権を語る』(共著:アウストレジェジロ・デ・アタイデ)潮出版社
- 『平和への選択』(共著:ヨハン・ガルトゥング)毎日新聞社
- 『20世紀の精神の教訓(上・下)』(共著:ミハイル・ゴルバチョフ)潮出版社
- 『波瀾万丈のナポレオン』(共著:フィリップ・モワンヌ他)潮出版社
- 『太平洋の旭日』(共著:パトリシオ・エイルウィン)河出書房新社
- 『旭日の世紀を求めて - 探求一個燦爛的世紀』(共著:金庸)潮出版社
- 『子どもの世界 - 対談 青少年に贈る哲学』(共著:アルベリト・A・リハーノフ)第三文明社
- 『美しき獅子の魂 - 日本とブルガリア』(共著:アクシニア・ジュロヴァ)東洋哲学研究所
- 『健康と人生 - 生老病死を語る』(共著:ルネ・シマー、ギー・ブルジョ)潮出版社
- 『21世紀への選択』(共著:マジッド・テヘラニアン)潮出版社
- 『カリブの太陽 正義の詩 - 「キューバの使徒ホセ・マルティ」を語る』(共著:シンティオ・ヴィティエール)潮出版社
- 『希望の選択』(共著:デイビッド・クリーガー)河出書房新社
- 『新しき人類を新しき世界を - 教育と社会を語る』(共著:ヴィクトル・A・サドーヴニチィ)潮出版社
- 『東洋の智慧を語る』(共著:季羨林、蒋忠新)東洋哲学研究所
- 『東洋の哲学を語る』(共著:ロケッシュ・チャンドラ)第三文明社
- 『希望の世界へ - 宝の架け橋』(共著:趙文富)徳間書店
- 『地球対談 輝く女性の世紀へ』(共著:ヘイゼル・ヘンダーソン)主婦の友社
- 『学は光 - 文明と教育の未来を語る』(共著:ヴィクトル・A・サドーヴニチィ)潮出版社
- 『宇宙と地球と人間』(共著:アレクサンドル・セレブロフ)潮出版社
- 『人間と文化の虹の架け橋』(共著:趙文富)徳間書店
- 『インドの精神 - 仏教とヒンズー教』(共著:ベッド・P・ナンダ)東洋哲学研究所
- 『人間主義の大世紀を - わが人生を飾れ』(共著:ジョン・ケネス・ガルブレイス)潮出版社
- 『見つめあう西と東 - 人間革命と地球革命』(共著:リカルド・ディエス=ホフライトネル)第三文明社
- 『「平和の文化」の輝く世紀へ!』(共著:エリース・ボールディング)潮出版社
- 『「緑の革命」と「心の革命」』(共著:モンコンブ・スワミナサン)潮出版社
- 『地球平和への探求』(共著:ジョセフ・ロートブラット)潮出版社
- 『美しき生命 地球と生きる 哲人ソローとエマソンを語る』(共著:ロナルド・ボスコ、ジョエル・マイアソン)毎日新聞社
- 『対話の文明 - 平和の希望哲学を語る』(共著:ドゥ・ウェイミン)第三文明社
- 『人間主義の旗を - - 人間性・慈悲・寛容』(共著:フェリックス・ウンガー)東洋哲学研究所
- 『今日の世界 明日の世界 新たな平和のシルクロード』(共著:ヌール・ヤーマン)河出書房新社
- 『友情の大草原 モンゴルと日本の語らい』(共著:ドジョーギーン・ツェデブ)潮出版社
- 『21世紀の平和と宗教を語る』(共著:ハービー・コックス)潮出版社
- 『人道の世紀へ - ガンジーとインドの哲学を語る』(共著:ニーラカンタ・ラダクリシュナン)第三文明社
- 『文化と芸術の旅路』(共著:饒宗頤、孫立川)潮出版社
脚注
関連項目
- 創価学会
- 創価学会インタナショナル(SGI)
- 公明党
- 池田大作サリン襲撃未遂事件
- 牧口常三郎(「創価学会」の前身である「創価教育学会」の創立者)
- 戸田城聖(「創価学会」第2代会長)
- 言論出版妨害事件
- カルト
外部リンク
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