米英戦争についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)
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| 米英戦争 | |||||||
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首都ワシントンの焼き討ち | |||||||
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| 衝突した勢力 | |||||||
バミューダ諸島 東部森林地帯インディアン | |||||||
| 指揮官 | |||||||
テカムセ† | |||||||
| 戦力 | |||||||
| •アメリカ合衆国正規軍: 35,800 •レンジャーズ: 3,049 •民兵: 458,463* •アメリカ海軍および海兵隊: (開戦時): •フリゲート:6 •その他艦船: 14 •先住民族: | •イギリス植民地軍正規兵: 48,163 •民兵: 4,000 •イギリス海軍および海兵隊: (開戦時): •戦列艦: 11 •フリゲート: 34 •その他艦船: 52 •カナダ植民地海兵隊: 実数不明 •先住民族: 3,500 | ||||||
| 被害者数 | |||||||
| 戦死: 2,260 負傷: 4,505 罹患他: 17,205 市民: およそ 500 | 戦死または負傷: 4,400 罹患他: 実数不明 市民: 実数不明 | ||||||
| *ほとんどの民兵は戦闘に参加せず、故郷を離れなかった者すらいた | |||||||
米英戦争(べいえいせんそう、War of 1812)は1812年6月-1814年12月、イギリス及びその植民地であるカナダ及びイギリスと同盟を結んだインディアン諸部族と、アメリカ合衆国との間でおこなわれた戦争である。「1812年戦争」「アメリカ=イギリス戦争」「第二次独立戦争」とも呼ばれる。カナダ、アメリカ東海岸、アメリカ南部、大西洋、エリー湖、オンタリオ湖を主戦場に戦われた。
目次 |
米英戦争の原因
詳細は「米英戦争の原因」を参照
この戦争がおこった背景にはいくつかの理由がある。
第一にヨーロッパでのナポレオン戦争中、アメリカは中立を宣言するが、イギリスによる海上封鎖によって、アメリカは経済的大打撃を受けていた。またイギリスの米船に対する臨検活動も反英感情を強めた。
第二にアメリカ国内において、南部諸州人はインディアンの土地を狙っていたが、激しく抵抗するインディアンたちの背後でイギリスが扇動していると考えていた。そのため反英感情が高まっており、根本的解決のためにはイギリスと戦争するしかないと考えられた。この戦争においてインディアン達はアメリカ人の侵略活動による西進を防ぐ為、イギリスと手を組んだ。
第三にナポレオン戦争に関わっていたイギリスには新大陸に戦力を向ける余裕が無く、アメリカはその隙を狙っていわば火事場泥棒的にカナダをイギリスから奪おうとした。
第四に、第三の理由からアメリカの指導者達は戦争はすぐに終わると楽観していた。
戦争の経過
こうしてアメリカから仕掛けられて始まったのが米英戦争である。
1812年6月18日、アメリカ第4代大統領ジェームズ・マディスン政権のときに米国議会はイギリスに宣戦布告した。
外交的な論争が何年も続いた挙げ句の開戦ではあったが、どちらの側も戦争の準備はあまりできていなかった。
イギリスはナポレオン戦争に掛かりきりでいた。イギリス陸軍の主力はスペインでの半島戦争に取られており、イギリス海軍はヨーロッパの海上封鎖を強いられていた。1812年6月のカナダ駐在イギリス軍は公式の数字で6,034名となっており、これにカナダ民兵が支援していた。米英戦争の間、イギリスの陸軍及び植民地担当大臣はヘンリー・バサースト伯爵であった。開戦から2年間、イギリスは北アメリカの軍隊を補強するゆとりがなかったので、北アメリカ総司令官ジョージ・プレボスト中将に防衛的な戦略を採らせた。このことはプレボスト自身の考えでもあった。しかし、1814年になると、戦争経験のある25,000名以上の大規模な増援が可能になったにも拘わらず、プレボストのニューヨーク侵攻はプラッツバーグの戦いでの敗北で挫折した。また南部のルイジアナ侵攻もニューオーリンズの戦いで反撃された。
一方、アメリカ合衆国の方は楽観的に見過ぎていた。マディスン大統領は、民兵が容易にカナダを確保し、その後に停戦交渉を行えばよいと見ていた。1812年、アメリカ陸軍の正規兵は12,000名を切っていた。アメリカ合衆国議会は陸軍兵力を35,000名まで拡張することを認めたが、従軍は志願に頼り、給与が少なくて不人気だったうえに、最初の内は訓練を積み経験のある士官が少なかった。民兵は正規兵の応援を要請されたが、その所属する州の外での従軍には反対し、規律もあまり良いとは言えず、さらに出身州の外で敵と遭遇すると働きが悪かった。合衆国は戦費を賄うことが非常に難しい状態にあった。これは丁度国立銀行を放棄したばかりであったことと、北東部の民間銀行が戦争に反対していたことによっていた。
アメリカの準備の足りなさと、アメリカ合衆国陸軍長官ウィリアム・ユースティスの指導力の不足とで、ユースティスの更迭にまで発展し、初期のアメリカは悲惨な状況だった。ユースティスの後継者ジョン・アームストロングは1813年遅くにモントリオール占領を目指した連携戦略を試みたが、兵站の破綻、非協力的で喧嘩っ早い指揮官達および訓練の足りない兵士によって失敗させられた。1814年までにアメリカ合衆国陸軍の士気と指導力は大きく改善されたものの、首都ワシントンが焼き討ちにあい、今度はアームストロングが職を追われた。次の陸軍長官ジェームズ・モンローが新しい戦略を立てる前に、戦争は終わった。
アメリカの戦争遂行は、特に反戦論の声が大きかったニューイングランドでの不人気に災いされた。ニューイングランドが民兵や財政的な援助を与えられなかったことが深刻な打撃となった。ニューイングランドが合衆国から脱退するという脅威もあり、イギリスはこの分裂を即座に利用して、海上封鎖を南部の港に限定し、密貿易を奨励した。
米英戦争は主に3つの戦線で行われた。
- 五大湖地方およびカナダ戦線
- 大西洋戦線
- 南部諸州戦線
五大湖地方およびカナダ戦線
詳細は「米英戦争のカナダ戦線」を参照
先ずアメリカは、英領カナダの奪取を狙い、カナダ領内に侵攻。エリー湖、オンタリオ湖をおさえ、アッパー・カナダの制圧には成功するも、セント・ローレンス川の水運をおさえることはできず、結果モントリオール、ケベックの攻略は失敗し、ロウアー・カナダの制圧はできなかった。こうしてアメリカのカナダ侵略の野望は潰えた。
大西洋戦線
詳細は「米英戦争の大西洋戦線」を参照
大西洋においても海戦がおこなわれていた。アメリカ海軍はイギリス海軍に較べ、戦闘艦の数も質も圧倒的に劣勢ながら、戦争前半は善戦した。しかしヨーロッパ大陸でのナポレオン戦争の帰趨が対仏大同盟側に有利になると、イギリスは海軍力をアメリカに向けたため、後半はその活動を封じ込められた。この戦争で英艦を破った米艦コンスティテューションは三笠、ヴィクトリーと並んで、世界三大艦の1つとして有名である。また私掠船も盛んに活動した。
1814年、海軍に輸送されたイギリス陸軍は敵首都の直接攻略のためアメリカ東海岸に上陸、首都ワシントンD.C.は陥落、大統領府も焼かれてしまった。
ちなみに戦後、大統領府を改修する際に、このときの焼け焦げを隠すために真っ白なペンキを塗ったことから、大統領官邸はホワイトハウスと呼ばれるようになったという有名なエピソードがある。
またこの戦争で最も熾烈な戦いといわれるのが1814年9月13日の「マックヘンリー要塞の戦い」である。アメリカ兵は独立戦争時に作られたメリーランド州ボルチモアのマックヘンリー要塞(フォートマクヘンリー)に立てこもって戦った。当時のボルチモアはアメリカ私掠船の根拠地であった。それに対しチェサピーク湾に侵入したイギリス軍は間断ない艦砲射撃を加えた。彼らは25時間に及ぶ激戦に耐え、停戦後にも風になびく星条旗は伝説となった。これを見たフランシス・スコット・キーは星条旗を称える詩を詠み、後にメロディがつけられて現在のアメリカ国歌となった。
南部諸州戦線
詳細は「クリーク戦争」を参照
南部諸州戦線は、ショーニー族の指導者テカムセの扇動によりアメリカ軍に反抗することを決めたクリーク族インディアンの戦い(クリーク戦争)と、休戦条約の頃にメキシコ湾沿岸からのイギリス軍による侵攻が含まれる。
1814年3月、アンドリュー・ジャクソンはテネシー州民兵、チェロキー族戦士およびアメリカ陸軍正規兵を率いて南部に向かい、クリーク族酋長メナワに率いられるインディアンと戦った。3月26日、ジャクソンとジョン・カフィー将軍はホースシュー・ベンドの戦いでクリーク族を打ち破り、クリーク族1,000名の中800名を殺したのに対し、約2,000名のアメリカ軍・チェロキー族連合軍は40名の戦死と154名の負傷に留まった。ジャクソン軍は生き残ったクリーク族を追跡し降伏に追い込んだ。インディアンはイギリス側に付き、イギリスも支援していたので、多くの歴史家がクリーク戦争を米英戦争の一部と見なしている。
イギリス軍は9月のニューヨーク州とメリーランド州での攻勢でも捗捗しい戦果を上げられずにいたので、視点を南に向けて10,000名以上の部隊を載せた艦隊をメキシコ湾に派遣した。ジャクソンは更に西に動いて、1814年の暮れからのイギリス軍の侵攻に備えた。
ガン条約
互いに決定打を欠いたまま戦争が長引くと、米英共に経済的にも軍事的にも疲弊し、講和の動きが出始めた。1814年12月26日、ベルギーにてガン条約が結ばれて米英は講和、米英戦争は終結した。
この条約締結後、アンドリュー・ジャクソン率いる民兵軍がニューオーリンズでイギリス軍を撃破した(ニューオーリンズの戦い)。これは当時、新旧大陸間の連絡には船で数週間かかり、講和成立の知らせがすぐには届かず、停戦が遅れたためにおこった。この勝利でアンドリュー・ジャクソンは国民的な英雄となり、後にアメリカ合衆国大統領となった。
イギリス軍はニューオーリンズの奪取を諦めたが、アラバマのモビールの町に攻撃の矛先を向けた。米英戦争の最後の戦いは1815年2月11日のボウヤー砦の戦いであり、このときは約1,000名強のイギリス軍が370名のアメリカ軍守備隊を降伏させた。この時にアメリカの受けた攻撃以降、アメリカ本土は他国からの攻撃に曝されることがなくなり、次に起こったのは太平洋戦争の真珠湾攻撃だった。
戦争の結果
詳細は「米英戦争の結果」を参照
ガン条約の取り決めにより、両国が占領した地域は全て元に戻されることになった。アメリカ合衆国はセントローレンス湾での漁業権を獲得し、未払いの負債や略取されていた財産は返還または支払われた。またイギリス軍に自由人として従軍していた奴隷を返させる代わりに、現金でその代償を払った。
この戦争の結果として、戦争中にイギリス商品の輸入がストップしたため、アメリカの経済的な自立が促され、アメリカ国内で多くの産業、工業が発展した。このため米英戦争は、政治的な独立を果たした「独立戦争」に対して、経済的な独立を果たしたという意味で「第二次独立戦争」とも呼ばれている。
国歌「星条旗」の誕生
詳細は「アメリカ合衆国の国歌」を参照
この戦争のさなか、アメリカ合衆国の国歌「星条旗」(英:The Star-Spangled Banner、星の煌く旗)が生まれている。歌詞は、1814年当時35歳であった詩人・弁護士のフランシス・スコット・キー(上述)による。
キーは、「マックヘンリー要塞の戦い」において、捕虜として捕えられた友人の釈放交渉のためイギリス軍艦に乗り込んだ。英国側の司令官は、最終的にはキーもその友人も解放することに同意したが、英軍の機密保持のため、イギリス艦隊がマクヘンリー砦を砲撃する間、2人は軍艦内に抑留されることとなった。激しい夜間砲撃の後、夜明けを迎えたキーらは、停戦後も砦の上にひるがえる星条旗を目にする。キーは自らの体験をすぐさま「マックヘンリー要塞の防衛」という詩にあらわした。これが、「天国のアナクレオンへ」という当時アメリカで人気のあったイギリスの俗謡のメロディに合わせて歌われるようになったのがアメリカ国歌のはじまりである。
参考文献
- 歴史群像 No.83 米英戦争1812(荒川佳夫)学研
ボードゲーム
- Strategy&Tactics(S&T)NO.225付録ゲーム: Twilight's Last Gleaming 2 Decision Games 2004,winter
第二次米英戦争(1812戦争)Decicion Games-付録ゲームは、S&T#184の「Twilight`s Last Gleaming」の続編で、カナダのゲティスバーグと呼ばれたナイアガラ川におけるLundy's LaneとChippewaの激戦、Thames川における1813年のインディアンとの戦いを10ページの簡易なルールで再現している
関連項目
外部リンク
- Library of Congress Guide to the War of 1812
- William C. Cook War of 1812 in the South Collection
- American Military History – The War of 1812
- The War of 1812 Website
- President Madison's 1812 War Message, with lesson plans and numerous primary documents from the U.S. and Britain regarding the causes of the war
- Treaty of Ghent and related resources on the War of 1812 at the Library of Congress
- Galafilm's War of 1812 website
- Key Events of the War of 1812
- Historycentral.com War of 1812
- War of 1812 – online exhibit at the Archives of Ontario
- The War of 1812 Niagara Region
- New York State Military Museum:Black Americans in the US Military from the American Revolution to the Korean War: The War of 1812
- Battle of Plattsburgh & War of 1812
- American Privateers in The War Of 1812
- War of 1812 Collection – War of 1812 Indiana Territory Volunteers
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