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ビッグベストテン
Big Best 10
ジャンル音楽番組
放送時間金曜日20:00~20:54(54分)
放送期間1979年11月2日~1980年3月21日
放送国 日本
制作局フジテレビジョン
プロデューサー渡邊光男
出演者高嶋秀武丘みつ子

ビッグベストテン(BIG BEST 10)は、1979年11月2日から1980年3月21日まで、フジテレビ系で毎週金曜20:00~20:54に放送された音楽番組である。

黒柳さん久米さん、見てますか~!」をキャッチフレーズに、フジテレビがTBS系の『ザ・ベストテン』に対抗してゴールデン枠に歌謡番組を投入。司会は当時、ニッポン放送アナウンサーだった高嶋秀武(フジテレビとニッポン放送はグループ企業だからできたことであり、出向と言う形で出演した)と女優の丘みつ子を起用した。

目次

概要

「ザ・ベストテン」同様、1時間の生放送でランキングを発表。

  • 「ザ・ベストテン」とのランキングとの大きな違いは、有線放送のポイントが加味されていないことだった。ラジオのポイントはニッポン放送「不二家歌謡ベストテン」のものを使用し、ハガキリクエストは「ファン投票」と呼んでいた(当初は、レコード・ラジオ・ファン投票の3要素のランキングを高嶋が早口で読んでいた)。
  • また、「ザ・ベストテン」のように、各地からの中継も取り入れていた(当初は「第○中継地点~!」と呼んでいた)。

ランク入りした歌手には、曲名入りの黄金のマイクがプレゼントされ、ランクイン中は、マイマイクとして使われた。

番組開始当初は、オープニングで、アチラのベストテンとして「ザ・ベストテン」の10位以内のランキングをフリップで紹介していた。

第1回目の1位は、桑名正博の『セクシャルバイオレットNo.1』であった。 ちなみにさだまさしの『親父の一番長い日』が1位だったときには、時間を19:30からに拡大してフルコーラスで歌った(この回は「ベストテン総登場」と予告していた)。 バラクーダの「日本全国酒飲み音頭」は、「ザ・ベストテン」には一度もランクインしなかったが、この番組には何度もランクインした。

ランキング発表は、電光掲示板風のマグサインボード(白と濃紺に塗り分けられた磁気反転式のドットで表示。作動時に大きな音がする)に、「第○位 XXXX点 <曲名> <歌手名> Big Best 10(番組タイトルロゴ)」と1曲ずつ大きく表示された。のちに3要素の順位も表示されていた。(レコード○位 ラジオ○位 ファン○位というように)

「ザ・ベストテン」のミラーゲートに対抗し、歌手が出てくるゲートは、八角形の電飾だらけのトンネル風で、通称「光のトンネル」と呼ばれていた。一時期は本日の出演アーティスト全員が最初に出てきたこともあった(中継呼び出しも顔出しだった)。

わずか5ヶ月で終了

番組が低迷する中、1980年2月上旬をもって、丘みつ子が司会から降板してしまった。

末期には、アーティストが欠席のときはピンチヒッターが登場した。

  • たとえば沢田研二が歌う「TOKIO」のときにはタモリが登場。「TOKIO~」の節しか歌わなかった。
  • セクシー・ユー」で第4位に入った郷ひろみ風邪の為生放送を欠席、代って当時郷の物まねで有名だった若人あきら(現・我修院達也)が登場し、そのまま本人になりきって歌ったことがある。
  • アリスが歌う「秋止符」のときには細川たかし新沼謙治が登場。細川たかしは、お馴染みのこぶしをコロコロ回して歌ったが、不評だった。

しかし、「ザ・ベストテン」の模倣と初期の頃の過度のライバル視や強力な裏番組であるNTV系列ほかの「太陽にほえろ!」、テレビ朝日系列(一部地域は放送日時差し替え)ほかの「ワールドプロレスリング」、TBS系列(一部地域除く)の「3年B組金八先生」に視聴率が奪われ、おまけに「金八先生」のテーマソングである「贈る言葉」(当時ヒットしていた。またピンチヒッターで石野真子が歌った回もある)が歌えない弊害まで起きて、5ヶ月で打ち切りとなった。最終回のエンディングでは、その回の出演者全員に金のマイマイクを高嶋が手渡していくシーンが放映された。なお、テレビ山口は、この番組の打ち切りを機に、該当時間帯をTBSの番組の同時ネットに切り替えている。

放映ネット局


また、フジテレビ系列でも新潟総合テレビテレビ大分では放送されなかった。両局共に「太陽にほえろ!」を放送していた。なお、この両局は、この当時は日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局であった。

関連項目

1979年当時の代表的な各局歌番組


前後番組

フジテレビ 金曜20時台枠
前番組番組名次番組
ビッグベストテン