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鎌倉将軍一覧(かまくらしょうぐんいちらん)は、鎌倉幕府征夷大将軍の一覧。

概要

征夷大将軍は、もとは源頼朝鎮守府将軍である奥州藤原氏を凌駕する官職として望んだもので鎌倉殿の本質的属性ではなかったが、2代源頼家北条時政クーデター比企能員の変)でその地位を追われたあと、後任に据えられた3代源実朝が、その正統性の補強のため鎌倉殿となってすぐに征夷大将軍に任じられて以来、鎌倉殿と征夷大将軍の一体化が進行した。

実朝が暗殺されたあと頼朝の子孫が絶え、京都の朝廷に対抗し、有力御家人たちを抑えられるだけの高貴な血統の出身者が必要とされたことから、はじめは摂関家の子弟(摂家将軍)、ついで皇族宮将軍・親王将軍)が京都から迎えられて将軍職に就いたが、すでに実権は北条氏が握っており、将軍は名目的存在となった。

ただし、かたちのうえでは将軍はあくまでも幕府の元首であり、すべての御家人の主君であることから、御家人たちに対して一定の求心力を持ち続け、これを警戒した北条氏は、幼少の将軍を迎えては成人すると解任して京都に送還するということを幕末まで繰り返した。

北条氏が幕府内では将軍をはるかに凌駕する権力を握り、また朝廷に対しては将軍職任命を容易に強要できるだけの実力を持ちながら自らは将軍にならなかったのは、もとは伊豆の一介の小豪族に過ぎない出自の低さのため、かりに将軍職に就いても、有力御家人たちの心服を得ることは難しかったためとされる。

一覧

氏名院号官位在職期間出身家享年墓所
1源頼朝
みなもとのよりとも
-正二位権大納言建久3年(1192年7月12日
- 建久10年(1199年1月13日
河内源氏53大倉法華堂
白旗神社
2源頼家
みなもとのよりいえ
法華院正二位左衛門督建仁2年(1202年7月22日
- 建仁3年(1203年9月7日
河内源氏23修禅寺
3源実朝
みなもとのさねとも
大慈寺正二位右大臣建仁3年(1203年9月7日
- 建保7年(1219年1月27日
河内源氏28寿福寺
白旗神社
4藤原頼経
ふじわらのよりつね
-正二位権大納言嘉禄元年(1226年1月27日
- 寛元2年(1244年4月28日
藤原氏九条家39-
5藤原頼嗣
ふじわらのよりつぐ
-従三位左近衛中将寛元2年(1244年4月28日
- 建長4年(1252年2月20日
藤原氏(九条家)18-
6宗尊親王
むねたかしんのう
-一品中務卿建長4年(1252年4月1日
- 文永3年(1266年7月20日
皇族33-
7惟康親王
これやすしんのう
-正二位左近衛大将
二品
文永3年(1266年7月24日
- 正応2年(1289年9月14日
皇族63-
8久明親王
ひさあきらしんのう
-一品式部卿正応2年(1289年10月9日
- 延慶元年(1308年8月4日
皇族53-
9守邦親王
もりくにしんのう
-二品延慶元年(1308年8月10日
- 元弘3年(1333年5月22日
皇族33-

関連項目

鎌倉将軍一覧