ヨハネによる福音書についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)

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ヨハネによる福音書(―ふくいんしょ、ギリシア語: Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιονラテン語: Evangelium Secundum Iohannemm英語: The Gospel According to St. John)は新約聖書中の一書で、『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4つの福音書イエス・キリストの言行録)の一つである。

ルターは本福音書とパウロ書簡を極めて高く評価しており[1]、その影響は現在のプロテスタント各派に及んでいる。

第四福音書」に位置づけられる『ヨハネ福音書』は「共観福音書」と呼ばれる他の3つとは内容的に一線を画した内容となっている。この福音書が4つの中で最後に書かれたということに関して研究者たちの意見は一致している。初代教会以来、伝統的にはこの『ヨハネによる福音書』(以下『ヨハネ福音書』)の筆者は、カトリック教会正教会等で伝承されてきた聖伝においては、文書中にみえる「イエスの愛しておられた弟子」すなわち使徒ヨハネであると伝えられてきたが、近代以降の高等批評をとなえる聖書研究家の間ではこの考え方を支持するものはいない。成立時期については、最古の写本断片が120年頃のものとの鑑定から一世紀末という見解が多数であったが、特に近年、この鑑定に対する疑問が提示され再検討がなされている[2]

目次

福音書の構造

『ヨハネ福音書』は(1:1:-5をプロローグと考えると)本文が1:6から始まっており、福音書全体を二つの部分に分けることができる。最初の部分(1:6-12章)は洗礼者ヨハネの洗礼に始まるイエスの公生活を描き、後半部分(13章-21章)は弟子たちに個人的に語った言葉(告別演説)とイエスの処刑にいたる経緯、イエスの復活までが描かれている。補遺、付加部分とされる21章では「イエスの愛しておられた弟子」の死について言及している。

『ヨハネ福音書』は共観福音書と呼ばれる他の三つの福音書と比べれば明らかに異なっている。共観福音書は重複箇所が多く、イエスの生涯について多くのページを割いているが、『ヨハネ福音書』は共観福音書との重複箇所が少なく、イエスの言葉をより多く盛り込んでいる。

ヨハネはイエスの父なる神との神秘的なかかわりについて重点的に説明している。ヨハネは共観福音書よりも鮮明に神の子たるイエスの姿をうかびあがらせることで、三位一体論の基礎を築いている。ヨハネの書くイエスの姿は父の愛する一人子であり、神の子そのものである。『ヨハネ福音書』はまた、キリストをあがない主として書く、あるいは神の霊である聖霊を助け主(ギリシア語:パラクレートス)として書く、キリスト教の特徴として愛を前面に押し出すなどの諸点によってキリスト教に大きな影響を与えることになる。

著者についての論争

ヨハネ文書の著者」も参照

11世紀のビザンチンの写本。挿絵は福音書を弟子プロクロス(左)に口述筆記させる福音記者ヨハネ(右)。
11世紀のビザンチンの写本。挿絵は福音書を弟子プロクロス(左)に口述筆記させる福音記者ヨハネ(右)。

ここでは『ヨハネ福音書』の著者を中心に述べる。

ヨハネによる福音書と呼ばれている通り、正統的なキリスト教会の伝統・伝承ではこの弟子はゼベダイの子使徒ヨハネであるとされてきた。詳細化された伝承においては、使徒ヨハネが最晩年エフェソスにおいて弟子プロクロスに口述筆記させたとする。しかし、19世紀以来の学術的な研究の結果、使徒ヨハネが第四福音書の著者であるという伝承に由来する意見は高等批評を受け入れる自由主義神学(リベラル)の間では支持されなくなった。リベラルの解釈によれば、テキストから読み取れるのは、『ヨハネ福音書』が「イエスの愛しておられた弟子」である無名の著者によって執筆されたということだけである。現在もっとも支持される説に、『ヨハネ福音書』はいくつかの段階を経てキリスト教内のあるグループの手によって成立したとする説があり、このグループを「ヨハネ教団」と呼んでいる(後述)。福音書の内容から、ヨハネ教団は使徒ヨハネを重視しており、ヨハネ自身がリーダーであった可能性も高い[要出典]

この福音書に関する伝統的な解釈、使徒ヨハネによる単独の著述という説を支持する保守的な立場の学者たちは『ヨハネ福音書』の成立時期は85年ごろであると考えるが、近代以降、学者たちの中には『ヨハネ福音書』が最終的に完成した時期は2世紀初頭であり、その筆者は複数、いわゆる「ヨハネ教団」であるとする説がもっとも広く認められている。この説では、『ヨハネ福音書』の最初の版の成立が50年代で、最終的に完成を見たのが100年ごろであるとしている。この説では、『ヨハネ福音書』21章を、それまでの部分とは違う筆者による部分であり、使徒ヨハネの死になんらかの説明を加えるために書き加えた部分であると考える。

テキスト自体からも、この福音書がイエスの時代から数十年後に書かれたことを読み取ることができる。純粋にテキストから言えることは、『ヨハネ福音書』がエルサレム神殿の崩壊(紀元70年)後、同じイエス・キリストを信じるグループの中で、ユダヤ教の伝統を保持しようとしたユダヤ人キリスト教徒とユダヤ教の伝統の保持を重視しなかったパウロのグループとが完全に決裂した後に書かれたということである。聖書学者F.C.バウアーは『ヨハネ福音書』の成立を紀元160年以降と考えているが、これは成立時期の諸説の中ではもっとも遅いものである。

『ヨハネ福音書』は福音書の中で最後に成立したと考えられているので、その成立時期を特定することには福音書全体の成立時期を考える上で大きな意味がある。他の福音書と同じように、『ヨハネ福音書』もまた現在では失われた資料をもとに執筆されたものと考えられる。ヨハネ教団の研究で知られる聖書学者レイモンド・ブラウンは『ヨハネ福音書』の中には三層にわたる編集の後が見られるという。最古の層は生前のイエスを実際に知るものによる記録である。そこへ第二の層として他の資料による記述が付加され、最終的に第三の層として全体が統一的に編集されたというのである。

1920年エジプトで発見され、現在はマンチェスターのジョン・ライランズ文庫に納められているパピルスの断片(学術的に「P52」と称されている)には『ヨハネ福音書』18:31-33と18:37-38の箇所が記されている。これは2世紀前半のものとされているが、これが真であれば現在見つかっている中では新約聖書の世界最古の断片ということになる。

しかし、このパピルス断片P52の成立時期が本当に2世紀であるかどうかに関しては疑問も出されており[要出典]、疑問の理由として次の二つがあげられている。まず第一に他のどんなギリシア語資料の断片であっても、その資料の内容そのものに時期を特定させるものがないかぎり、ある時期に絞り込むことは難しいということである。第二にこの断片は巻物からとられたのではなくコデックス(冊子本)からとられたとみられているが、この時期に巻物でなく、(後代に一般的になる)コデックスが普及していたという事実を示すには資料が不十分であるということである。つまり、2世紀のものならコデックスより巻物であるほうの確率が高いはずなのだ。

もしこの断片が2世紀前半のものであるならば、コデックスの最初期の例ということになる。この断片は9×5cmと非常に小さいので、果たしてこれが私たちの今読んでいる『ヨハネ福音書』と同じものかどうかまではわからない。しかし、厳密な年代についての異議は出ているにせよ、この断片が新約聖書の最古の断片であるということは間違いがない。年代の古さでいえばこのP52に次ぐのは「エゲルトン福音断片」といわれるものである。これは2世紀半ばのコデックスの断片で、そこに記されている福音書のことばは四つの福音のどれとも一致しないが、ヨハネの記述にもっとも近い内容である[要出典]。学者によってはエゲルトン福音断片の記述は『ヨハネ福音書』の初期の版かあるいはその流れを汲んでいるのではないかと考えているものもある。

執筆に用いられた資料

非神話化を唱えたドイツの聖書学者ルドルフ・ブルトマン1941年に自著『ヨハネ福音書について』で提示した説によれば、『ヨハネ福音書』の著者はイエスの行った奇跡に関して共観福音書とは異なる資料、口述資料を用いているという。この資料は仮に「しるしの福音」と呼ばれるもので、紀元70年ごろに成立していたものと思われる。「しるしの福音」の存在そのものに疑いの目を向けるものであっても、『ヨハネ福音書』の中でイエスの「しるし」に番号がふられていることが何らかの資料の痕跡であることは否定できない。資料を研究すれば、ヨハネ福音のみにかかれる奇跡はすべて12章37節以前に現れていることがわかる。しかもそれらは決して劇的な描き方はされず、信仰を呼び起こすものとして描かれる[要出典]。また「しるし」をあらわすギリシア語「セーメイア」もヨハネのみ使う表現である。これら12章37節以前の「しるし」はそれ以降のものとも、他の共観福音書の描く「しるし」(奇跡)とも異なった性質を持ち、あくまでも信仰の結果の出来事となっている。このようなヨハネの独自性の一つの解釈として、ヨハネが初期のヘレニスト(ギリシア語を話すキリスト教徒たち)の間で保持されていた「奇跡を行うもの」、「魔術師」としてのイエスの姿をヘレニズム世界の人々に受け入れやすいように書き換えたということがあげられる[要出典]

ほかにも3世紀から4世紀にかけてイエスが「聖なる人・奇跡を行う人・魔術師」として知られていたことを示すものとして、イエスが魔法の杖をもった姿で描かれていることも議論となっている。しかし、このようなイエス像はローマ帝国の西方地域でしか見つかっていないため、アリウス主義との関係が指摘されている[要出典]。弟子たちの中ではペトロだけがそのような魔法の杖を持った姿で描かれる。この杖は図像学においては権威の象徴である。

資料の解釈

『ヨハネ福音書』の冒頭部分は明らかに『創世記』の冒頭部分を踏まえた表現である。この点に関しては多数の研究者が認めているにも関わらず、その冒頭部分にこめられた意味については多くの論議がなされている。たとえばヘレニズム世界におけるレトリックの定型文であるとか、死海文書と共通する比喩表現であるとかいったものである。

近年の聖書研究の動向では、『ヨハネ福音書』の冒頭部分を(原点にもどって)ユダヤ文化の伝統に即したものとして考えるのが主流になっている[要出典]。つまり創世記の冒頭が神による世界の創造だけを述べているように、『ヨハネ福音書』の冒頭はことば(ロゴス)についてだけ述べているということである。『ヨハネ福音書』ではロゴスとはイエスのことである。創造とロゴスを対比してみることで、パウロも語っているようなアダムとイエスの対比が明確になってくる。パウロは『コリントの信徒への手紙一』15:45において、第一のアダムが「生きるもの」となったように、第二のアダムであるキリストが「霊をあたえるもの」になったという。

『ヨハネ福音書』の独自性

  • 他の福音書では名前しか出てこない使徒トマスの批判的な記述があり、「不信のトマス」として植え付けられることに繋がった。宗教史学者のエレーヌ ペイゲルスは、キリスト教トマス派を嘲い蹴落とすために行われたものだったと指摘している。
  • イエスは七度「私である」と自分自身に言及する。
  • 二つの「しるし」が数えられている。(2:11、4:54)
  • サタン悪魔、悪魔つきにまつわる話、終わりのときの予言、山上の説教、倫理的な訓話などが一切ない。
  • 1:39で「第10の時刻」として細かく時間が記されている。
  • 「ベトサイダの池の水を天使が動かす」ということが5:3に記されている。
  • 7:8-10でイエスは祭りに行くつもりはないといっているが、兄弟たちが行った後でひそかに行く。
  • 13:3-16でイエスは弟子たちの足を洗う。
  • 20:1でマグダラのマリアは一人で墓へ向かう。
  • マグダラのマリアは空の墓を二度訪れるが、そこで彼女はイエスの遺体が盗まれたと思い込む。二度目には天使を見ているが、天使たちもイエスの復活は告げない。天使たちはただ「なぜ泣いているのか」とたずねるだけである。さらにマリアは近づいてきたイエスを園丁だと思い込んでいる。そのとき、イエスは「わたしに触れてはならない」という有名な言葉を残す(20:1-18)。その一方で、トマスに対しては自分のわき腹に指をいれて幽霊ではないことを確かめるよううながしている。トマスはイエスを目の当たりにしてその復活を信じたため、実際にはイエスに触れることはなかったが、マリアに対する態度と比べると差がみられる。
  • 初期のキリスト教徒たちのあるものは「イエスの愛しておられた弟子」が不死であると信じていたようである。『ヨハネ福音書』の補遺箇所(21章20節以降)はその弟子の死を説明するものとして書かれたと考えられる。
  • 伝統的にはヨハネであるとされている「イエスの愛しておられた弟子」の名前は本文中では決して明らかにされない。

脚注

  1. ^ M.ルター『新約聖書への序言』「新約聖書の正しい且つ最も貴重な書はどれであるか」(1522年)、石原謙訳『キリスト者の自由、聖書への序言』岩波文庫、1955年 ISBN 4003380819 所収
  2. ^ 例えば、G.タイセン『新約聖書―歴史・文学・宗教』教文館、2003年 ISBN 4764266369

関連項目

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