自由民主党 (日本)についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)
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自由民主党 Liberal Democratic Party (LDP)自由民主党本部 | |
|---|---|
| 総裁 | 谷垣禎一 |
| 幹事長 | 大島理森 |
| 参議院議員総会長 | 尾辻秀久 |
| 成立年月日 | 1955年11月15日 |
| 本部所在地 | 〒100-8910 東京都千代田区永田町一丁目11番23号 |
| 衆議院(下院)議席数 | 119 / 480 {{#iferror:(25%)}} (2009年9月) |
| 参議院(上院)議席数 | 79 / 242 {{#iferror:(33%)}} (2010年1月) |
| 党員・党友数 | (平成20年12月31日集計) |
| 政治的思想・立場 | 保守 中道右派 新保守主義 新自由主義 自由民主主義 |
| 機関紙 | 自由民主 |
| 政党交付金 | 約157億3,300万 円 (2009年度予算) |
| 公式サイト | 自由民主党 |
| シンボル | 太陽を仰ぐ二人の子ども ロゴマーク |
| 国際組織 | 未加盟 (かつては国際民主同盟に所属) |
| 党を後援する私企業や団体の集団入党も多い。 | |
自由民主党(じゆうみんしゅとう、略称:自民党、自民、Liberal Democratic Party、LDP)は、日本の政党。
2009年9月1日現在、民主党と事実上二大政党を形成しており、衆議院・参議院ともに民主党に次ぐ第2会派を形成している。
鳩山由紀夫らによる民主党や小沢一郎による自由党の登場後は、「自由民主党」の正式名を使うと混同される恐れがあるため、略称の「自民党」または「自民」を使う頻度が増えている。機関紙も、それまでの『自由新報』から『自由民主』に改題した。
「明るい太陽のもとで、自由にのびのびと暮らす人びと」を広報宣伝用のシンボルマークに用いているが、正式な党章は紫地に白線で「十四弁陰菊花紋章の中央に『自民』のモノグラム」である。
目次 |
概要
結党から保守安定期
1955年の保守合同により、自由党と日本民主党が合同して成立。現行憲法(日本国憲法)の改正を目指した[2]。戦前の二大政党たる立憲民政党・立憲政友会の流れを汲み、戦後の一時期を除いて結党以来ほぼ一貫して議会で多数を占め、政権与党の立場にあった。
当時、革新政党である日本社会党も左右に分裂していたが、1955年になって社会党が再統一で合意したことから、保守勢力にも統一した保守政党が急務という声が高まり、保守合同が実現した。自由党と日本民主党は、両党の公認だけで当時の定数(467)を上回る534人が立候補しており、両党の共倒れを避けることも目的の一つだった。
結成直前の1954年から1964年まで、アメリカ合衆国(米国)政府の反共政策に基づいて中央情報局(CIA)の支援を受けていた[3][4]。また、政治評論家の森田実によると、現在においてもCIAの影響下にあると指摘されている[5]。
政治学者の北岡伸一によると、政党発足当初は吉田派・反吉田派、党人派・官僚派、戦前派・戦後派など複雑な派閥対立要素が絡んでいたため、“保守合同”の立役者となった三木武吉は「10年も一党体制を維持できればマシな方だろう」という程度の認識だったという[6]。自由民主党の派閥は、結党時は8派閥が存在し、「八個師団」と称されたが、その後は5~6派閥になっていることが多い。
かつては、地方の建設業界に対して一定の公共事業を発注するなど特定利権は生じるものの、いわゆる「均衡ある国土発展」と呼ばれる、富の再分配政策を行って地方の経済を回していくことを重視し、「一億総中流」を唱えるなど平等を重視する保守本流派が主流であり、農山漁村や地方小都市など地方を支持基盤としてきた。一方、新住民層が多い大都市やそのベッドタウンでは比較的弱く、社会党や共産党と票の奪い合いが続いていた。しかし、社会党は民主社会党の離反や公明党、共産党の台頭で都市部の地盤を失い、それに比べると自民党は比較的地盤を守った。
自民党は党そのものの組織は弱く、政治家個人の後援会や、派閥が選挙の中心になった。過半数確保のために、選挙区に複数候補を立てる必要のある中選挙区制では、派閥が競って候補を立てることで、党全体としてはプラスに働くことが多かった。反面、同じ党といえども選挙区のライバルとして激しい対立を伴う選挙となったり(上州戦争、森奥戦争、六龍戦争など)、互いに有権者の歓心を買うために金権政治の温床ともなった。
結党から最初の総選挙となった第28回総選挙で、自民党は追加公認を併せ298議席を獲得(定数467)。社会党は同じく167議席で、両党で議席の99%以上を占めた[7]。こうして自民優位の二大政党制(社会党は自民党の半分程度であることから「一と二分の一政党制」とも呼ばれた)である、55年体制が成立した。
結党から1960年代の終わりまでの時期は、自民党は毎回候補者を減らし、得票率も少しずつ減少させる守りの選挙だったが、全体として安定期であった。60年安保から間もない第29回総選挙では、社会党と民社党の分裂の間隙を縫ってむしろ議席を増やし、黒い霧事件の結果行われた第31回総選挙でも、不利が予想されながら安定多数を確保した。
保革伯仲から最初の下野
1976年には新自由クラブが分裂し、都市部でブームを起こした。その結果、1970年代後半から、しばしばギリギリ過半数を超える水準まで議席が落ち込み、「保革伯仲」と呼ばれた。また、ロッキード事件で離党に追い込まれた田中角栄が、木曜クラブ(田中派)を率いて強大な権力を誇り、反田中派と四十日抗争などの権力闘争を繰り広げた。しかし、その一方で野党を懐柔し、特に公明党、民社党と協力する自公民路線を進めたため、自民党政権への致命傷とはならなかった。また、1980年代に入ると、都市部を中心に自民党への回帰現象も起こった。1986年には、田中派の竹下登らが反旗を翻して創政会(のちの経世会、平成研究会)を旗揚げし、まもなく田中が脳梗塞に倒れたため、竹下が自民党第一派閥の座を手にした。
1983年に自民党は新自クとの連立政権を組んだが、1986年の衆参ダブル選挙(第38回総選挙、第14回参院選)で、自民党は追加公認込みで衆参それぞれ304議席(衆議院)、74議席(参議院)と圧勝。新自クは再合流し、自民単独政権に戻った。
1988年のリクルート事件や1992年の東京佐川急便事件により国民の政治不信が増大し、自由民主党単独の長期連続政権による金権体質が度々指摘されるようになった。1989年の第15回参院選では社会党を10下回る36議席しか獲得できず、史上初めて参議院での過半数を失った。1990年の第39回総選挙では自民党は安定多数を確保したが、政治改革が必要との議論が党内外に高まっていった。
この流れを受けて、宮沢内閣は政治改革関連法案の成立を目指したが廃案となった。折から三塚派若手の武村正義や、小渕派(竹下派後継)から分裂した羽田派など、これに反発した自由民主党議員が大量に離党。新党さきがけ、新生党が分裂した。1993年の第40回総選挙では、自民党は解散時勢力を維持したものの過半数にはとうてい届かず、保守3新党(日本新党、新生党、新党さきがけ)が大勝。また、55年体制の片割れである社会党は惨敗した。この結果、日本新党の細川護熙を首班とする連立政権が成立し、結党以来の自由民主党単独の長期連続政権に終止符が打たれた。
連立政権の時代
自民党が野党に転落すると、連立政権に移籍を図る議員が目立つようになった。その一方、細川内閣は小選挙区比例代表並立制を柱とした政治改革関連法案の成立を目指し、1994年1月29日、自民党の要求を容れる形で修正案を可決した。
非自民の連立政権は細川、新生党の羽田孜と続いたが、いずれも長続きせず、連立政権内で新生党・日本新党・公明党と、社会党・さきがけの不協和音が大きくなっていた。そこで自民党は、社会党の村山富市委員長を首相に推す奇策で、1994年6月30日、社会党・さきがけとの連立政権として与党に復帰。1996年1月11日、自民党の橋本龍太郎首班となり、同年の第41回総選挙では、過半数にこそ満たなかったが239議席と復調。旧非自民連立政権側は、主に新進党に集約されていたが、この情勢を見て、今度は新進党などから自民に移籍する議員が現れ、自民党側も積極的に引き抜いた。その結果、1997年には総選挙を経ることなく過半数を回復。1998年には社会・さきがけとの連立を解消し単独政権に戻った。しかし、同年の第18回参院選で大敗し、参議院での過半数確保に失敗したことから、1999年、自由党、公明党との自自公連立政権を新たに組み、2000年には自由党の離脱で、自由党から分裂した保守党(後に保守新党)との自公保連立政権に変わった。2003年に保守新党を吸収してからは、自公連立政権となった。
政局では、55年体制の終焉と共に衆議院での過半数維持が難しくなった自民党は、小沢一郎率いる新進党からの引き抜き工作と公明党とのパイプを野中広務らが担っていた。1996年に改革を訴える民主党の結成によって政権維持のために行政改革を迫られた橋本内閣では、大きな政府路線を志向する平成研究会(旧経世会)系議員と、小さな政府路線を志向する清和政策研究会系議員との間で不協和音が生まれるようになる。小渕内閣を安定させるため、自由党の政策を呑む形で自自連立を組み、その後の10月に公明党が加わり自自公連立を達成したが、その後自由党が離脱し、この時期から公明党との本格的な選挙協力関係が始まった。森内閣支持率低下への歯止めから加藤の乱が勃発。その後、YKKは小泉内閣の樹立を達成した。
経済面では、1991年にバブル経済が崩壊する。冷戦が終結しグローバル化が急速に進展したことにより、従来型の官僚主導による利益分配的な政治手法が機能しなくなっていたが、経済政策を劇的に転換する事が出来ず、経済成長効果が小さかったとされる公共事業を軸とした膨大な財政出動により国と地方も莫大な財政赤字を抱えるようになり、経済政策の転換を迫られることになった。そうした時代的要請から、2001年に小泉内閣が発足すると、公共事業の削減などにより政府の財政出動を抑制し、中央政府の権限を民間企業や地方自治体に委譲すべきとする聖域なき構造改革を主張し、旧来の地方への利益分配により政党の支持基盤を磐石なものとしてきた大きな政府路線から小さな政府路線に政策を転換した。
2005年8月、第162回通常国会における郵政民営化法案参議院否決後に行われた第44回衆議院議員総選挙では、小泉劇場と言われるポピュリズム的政治手法をとり、歴史的圧勝をおさめた。その一方で保守派の議員が郵政民営化法案に反対票を投じたため党を除名されたり、落選したことで、党内保守派および保守系の議員連盟が大きな打撃を受けた結果、「自由民主党が保守政党でなくなっていく」可能性も指摘されている[8]。
小泉内閣以降の政権は、小さな政府路線を目指す構造改革の負の部分に苦しむことになる。本来地盤であった地方は、小さな政府路線への反発から自由民主党離れが進み、年金記録問題や閣僚のスキャンダルもあって、第21回参議院議員通常選挙では民主党に惨敗、結党以来初めて参議院で第1党から転落した。衆議院と参議院で多数派が異なる構図になった(ねじれ国会)ことで与野党の対立が激化、政策の決定、実行のスピードが遅くなった。これにより首相の指導力も著しく低下し、総理総裁が安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と毎年のように変わるようになる。
公明党とその支持母体である宗教法人創価学会の選挙協力による組織的動員(F取り)なしには選挙戦を戦えない不安定な状態になっているとの指摘があり、実際、自由民主党幹部が2008年8月に行った調査によると、創価学会と公明党の支援なしで自由民主党が総選挙に臨んだ場合、100未満の議席しか獲得できないという[9]。
2度目の野党転落へ
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙では、首相経験者や派閥領袖を含む大物議員が次々と落選する大敗を喫した。獲得議席数は119議席に止まり、2度目の野党転落となった。自民党が衆議院で第一党を失ったのは、結党以来初めてである。
保守イデオロギーをスタンスとしている『産経新聞』は麻生太郎が2009年8月15日の大東亜戦争終戦の日に靖国神社へ参拝しなかったことに対する保守層の「失望」は大きかったと主張した[10]。自民党支持者の3割が民主党に投票した(出口調査結果)ことを挙げて、「無党派層だけでなく自民党の常連まで愛想を尽かした形となった」と報じた。
また、自民党は選挙中に、“民主党政権になれば労働組合の侵略を許すことになる、日教組により教育がめちゃくちゃにされる” “民主党は国旗(日章旗)を軽んじている”[11]など、保守イデオロギー色を全面に打ち出したパンフレットをサイトで公開し、頒布するなど、民主党に対するネガティブ・キャンペーンを展開した。また、ネット動画のみのCMとして、民主党の鳩山由紀夫代表や、その他の幹部に似せた人物を批判するアニメを流した[12]。
2009年9月11日、改革クラブと統一会派を結成した[13]。その後、「自由民主党」に「世論の拒否反応がある」との理由で党の政権構想会議で党名変更論が唱えられ[14] 、「和魂党」「自由新党」等の新党名が提案されたものの、批判が相次ぎ断念された[15][16]。
略史
- 1955年
- 1956年
- 1976年
- 1979年
- 10月7日 - 第35回衆議院議員総選挙で再び公認候補の当選者数が衆議院での過半数を割り(前回同様、保守系無所属議員の追加公認で過半数を確保)、四十日抗争へ。
- 1980年
- 1983年
- 12月18日 - 第37回衆議院議員総選挙で再び公認候補の当選者数が衆議院での過半数を割る(これまで同様、保守系無所属議員の追加公認で過半数を確保)。同月27日、新自由クラブと連立政権(第2次中曽根康弘内閣)。
- 1984年
- 9月19日 - 自由民主党本部放火襲撃事件。本部ビルの一部が焼失。
- 1989年
- 7月23日 - 第15回参議院議員通常選挙で日本社会党に大敗、初めて追加公認を合わせても参議院での過半数を失う。
- 1993年
- 1994年
- 4月15日 - 鹿野道彦ら清和会代議士5名が離党[25]、新党みらい結成(1994年12月10日、新進党へ合流)
- 4月21日 - 柿澤弘治ら自民党離党議員6名[26]と無所属の高市早苗を加えて自由党結成(1994年12月10日、柿澤・佐藤静雄を除き新進党へ合流)
- 6月30日 - 日本社会党・新党さきがけと連立政権(村山富市内閣)に復帰。自民党が首相指名選出で自民党議員以外の国会議員へ党議決をしたのは初めて。
- 7月27日 - 海部俊樹、津島雄二ら自社さ連立政権に反発した自民党離党議員6名[27]が中心となり新党未来や柿澤自由党や鳩山・柿澤らも合流し自由改革連合結成(1994年12月10日、津島を除き新進党結党大会参加)
- 1996年
- 1月11日 - 約2年半ぶりに自民党出身の内閣総理大臣(第1次橋本龍太郎内閣)。
- 1997年
- 1999年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 1月24日 - 第77回定期党大会にて新綱領を発表した。
政策
- 経済政策では55年体制下において公共投資に積極的な「保守本流」(経済左派)が主流であったが、1990年代以降、政府の市場介入をできるだけ少なくする新保守主義・新自由主義的路線へと転換している。
- 外交安全保障政策は日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約即ち日米同盟堅持を機軸とし、自由民主主義体制の国々との関係を重視している(価値観外交)。
- 2005年11月22日の党大会で理念と綱領を発表した。綱領では新憲法制定(復古的改憲論・押し付け憲法論を唱える)、質の高い教育(日本教職員組合を敵視[29][30])、小さな政府、持続可能な社会保障制度、治安の安定、食糧・エネルギーの安定的確保、国際競争力の強化、循環型社会、男女が支え合う社会(ジェンダー是認と純潔教育推進)、生きがいとうるおいのある生活の実現を掲げている。
- ネット検閲に積極的な立場をとり、2009年7月には、有害情報の総合的な法規制とブロッキング制度を提案した。[31]
- 2010年1月24日、グランドプリンスホテル赤坂にて行われた、第77回定期党大会にて新綱領を決定した。新綱領では、
- 1、我が党は常に進歩を目指す保守政党である。
- 2、我が党の政策の基本的考え。
- 3、我が党は誇りと活力ある日本像を目指す。
を打ち出した。
- 民主党が打ち出した「定住外国人に地方参政権を付与する法案」には明確に反対の方針を打ち出し、沖縄県の米軍普天間飛行場問題は、日米合意に基づき、沖縄県名護市の辺野古沖(キャンプ・シュワブ)に移設するよう求めている。与党民主党に対しては、献金・基地・経済の3Kで追い込み、2010年の参議院議員通常選挙にて議会の過半数を占める事を目的とする方針である。
組織
党員
入党には党員の紹介が必要である。2008年末における党員数は1,041,846人。ピーク時の1991年には547万人いた。党費は年間4,000円で、総裁選挙の投票権を有する。一般党員、家族党員、特別党員の3種類。
本部
国会議事堂の北西すぐに党本部がある。財団法人自由民主会館が所有する9階建てのビルで、「自由民主会館」という。その土地(国有地)を年間約7000万円で借りているものである。延べ床面積は約1万5600平方メートルで大規模な本部ビル[32]ではあるが、約1万6000平方メートルある日本共産党本部の方が大きく、日本最大ではない[33]。
地方組織
自民党は選挙区あるいは市区町村ごとに支部を擁しており、都道府県ごとに支部の連合会を設置している。この連合会のことを県連(けんれん)と略しており、正式には「自由民主党○○県支部連合会」という。東京都、大阪府、京都府、北海道においてはそれぞれ都連(とれん)、府連(ふれん)、道連(どうれん)になる。県連会長は現職国会議員でなければならない。県連幹事長は地元の都道府県議会から出すのが通例である。県連総務会長、政調会長は都道府県議会だけでなく、同一県内にある政令指定都市の市議会から出すこともあるが、東京都連のように幹事長以外がすべて国会議員という例もある。 また、党員ではあるが選挙区に空きがない有力候補予定者のために都道府県に「衆議院選挙区第二支部」を置く事がある[34]。
執行部役員表
詳しくは自由民主党 役員表や、幹事長、自由民主党総務会、政策部会、国会対策委員会を参照すること。
※2009年(平成21年)9月29日発足後、2009年(平成21年)9月29日時点
総裁12
幹事長12
総務会長12
政務調査会長12
国会対策委員長
- 参議院自由民主党
参議院議員総会長1
- 尾辻秀久(額賀派)
幹事長1
政策審議会長
国会対策委員長
- 役員会参加者。
- 総裁は派閥を正式に退会、党四役は形式的に派閥を離脱。
歴代の執行部役員表
「自由民主党執行部」を参照
所属国会議員
「自由民主党国会議員一覧」を参照
参議院自由民主党
参議院自由民主党は各種業界・団体代表者の割合が高い。1989年の第15回参議院議員通常選挙で大敗、過半数割れした結果、歴代の自民党政権・執行部は参院対策に重点を置いてきた。参院自民党の執行部人事は総裁の専権事項ではなく、また閣僚人事も派閥領袖より参院議員会長・参院幹事長の意向が優先される参議院枠が存在する、派閥に対する帰属意識が衆院に比べて弱い。
派閥
詳細は「自由民主党の派閥」を参照
以下は2010年1月18日時点の派閥構成人数。
| 町村派 | 額賀派 | 古賀派 | 山崎派 | 伊吹派 | 麻生派 | 高村派 | 無派閥 | 計 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 衆議院 | 20 | 14 | 25 | 16 | 10 | 8 | 5 | 21 | 119 |
| 参議院 | 27 | 21 | 9 | 2 | 8 | 3 | 2 | 7 | 79 |
| 計 | 47 | 35 | 34 | 18 | 18 | 11 | 7 | 28 | 198 |
※現在衆院副議長で会派離脱中の衛藤征士郎(町村派)、参院副議長で会派離脱中の山東昭子(高村派)を含む数字。
支持組織
党友組織
政治資金団体
友好団体
「自由民主党の友好団体」を参照
事実上の支援団体
| カテゴリー | 団体 |
|---|---|
| 財界団体 | ・日本経済団体連合会(日本経団連)・日本商工会議所(日商)・経済同友会 有力企業・経営者は基本的に自民党支援であり、「民主主義維持のためのコスト」として国民政治協会への政治献金も強く求められている。「経済同友会」と、日本経団連の前身の一つである「日本経営者団体連盟」(日経連)は、かつて保守合同を強力に促したことでも知られる。ただし、1993年の非自民による細川政権成立後は、「日本経団連」は公式には必ずしも自民支持ではなかった。しかし、2005年の第44回衆議院議員総選挙では、奥田碩会長は自民党単独支持を表明した(より正確には、奥田個人の発言という形を取り経団連としての支持表明ではなかったが、事実上そのように報道された。実際に、奥田会長のトヨタ自動車を始めとして、経団連の主要な企業の多くが自民党を支援した)。 近年は、郵政民営化や日本道路公団民営化、労働者派遣法の規制緩和、官民競争入札制度の導入、ホワイトカラーエグゼンプションなど経団連が支持する新自由主義経済政策が積極的に導入または導入に向けて議論されるなど、自民党と経団連の協力関係は一層に強化されており、高齢化等が進んで組織力を低下させている支持団体は自民党によって切り捨てられているとされる。 |
| 業界団体 | ・大樹全国会議 |
| 宗教団体 | ・神道政治連盟 神社の政治団体。「古きよき日本の歴史・伝統・文化の復権」のための支援をしている。 ・創価学会(連立政権相手であった公明党の支持母体) 1999年以降公明党が連立政権に参画し、公明党の支持母体である創価学会と衆院小選挙区・参院比例区を中心に選挙協力が進められてきた。第45回衆議院議員総選挙にて自民党惨敗後、公明党は自民党との選挙協力のあり方を根本的に見直す意向を示している[36]。 |
| 政治思想系 | ・日本会議 結成当時より党是は改憲であり、「GHQによる押しつけ憲法の廃止 - 自主憲法の制定」を唱え、また党綱領にもその旨定めている(→押し付け憲法論)。 |
一般支持者
前述されたように自民党は財界や保守層からの支持が根強い。小泉純一郎政権時は、マスコミ報道を面白おかしく利用した「劇場型政治」や「ワンフレーズポリティクス」などと評され、従来の自民党支持層とは異なる都市部無党派層・従来政治に関心がない層からも幅広い支持を集めた。第44回衆議院議員総選挙では党広報担当の世耕弘成が民間企業の広告代理店と結託して自らのイメージを高め反対勢力のイメージを落とさんとするメディア戦略を行った。このような政治手法に対しては、ポピュリズム政治であるとの評価がなされることも多い。
近年の動向
自民党は都市部と過疎地の経済的格差の是正を重視する保守本流政策を田中角栄内閣以来踏襲し、農山漁村や地方小都市からの支持が根強かったが、近年は自由競争による経済効率を重視する政策への転換を図り、公共事業の削減を進めたため、公共事業に大きく依存する農山漁村や地方小都市からの支持を失いつつある。したがって地方組織は弱体化しつつあり、党員数も減少傾向にある。また以前は大都市での支持が比較的高かった民主党が地方で議席を伸ばしたり健闘することが多くなってきている。
第45回衆議院議員総選挙で自民党が惨敗し、選挙組織が崩壊傾向にあることもあって、与党時代に連立相手であった公明党及びその支持母体創価学会への依存を見直し、従来から自民党を支持していた宗教組織(神道政治連盟・立正佼成会等)を第77回自由民主党定期党大会で友好団体(本部推薦)として表彰している。
対外関係
米国
党結成以来、日米同盟(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づく両国関係)を最重視している。
中国
日中友好議員連盟には多数の議員が所属し、高村正彦が会長、町村信孝が副会長を務める。また、北京オリンピックを支援する議員の会の河野洋平会長など100人以上の議員が参加している。なお日中緑化推進議員連盟には二階俊博らが所属している。
2007年夏の参院選後に、森喜朗、古賀誠・二階俊博らが新たな日中友好議員連盟の結成を予定していると報じられた。2007年7月4日には、中華人民共和国の王毅大使と中国大使公邸で懇談し、協力を求めた。日中国交正常化35周年に合わせて日本と中国が進める「2万人交流」プロジェクトが今秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる[37]。
韓国
日韓議員連盟に237名の議員が参加し、森喜朗が現在も会長を務めるなど関係を重視している。
朝鮮民主主義人民共和国
南北分断固定以後は韓国同様にその存在を認めていないが、1990年には金丸信が日本社会党と共同で訪朝団を結成し(金丸訪朝団)、国交正常化や統治時代の補償とともに『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交している。
また北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟は自民党議員が中心となっている一方で日朝国交正常化推進議員連盟に参加している議員も少なからず存在する。
党勢の推移
衆議院
| 選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| (結党時) | 299/- | 467 | 「自民党のあゆみ」によれば、298 |
| 第28回総選挙 | ○287/413 | 467 | 追加公認+11 |
| 第29回総選挙 | ○296/399 | 467 | 追加公認+4 |
| 第30回総選挙 | ○283/359 | 467 | 追加公認+11 |
| 第31回総選挙 | ○277/342 | 486 | 追加公認+3 |
| 第32回総選挙 | ○288/328 | 486 | 追加公認+12 |
| 第33回総選挙 | ●271/339 | 491 | 追加公認+13 |
| 第34回総選挙 | ●249/320 | 511 | 追加公認+12、死去-1 |
| 第35回総選挙 | ●248/322 | 511 | 追加公認+10 |
| 第36回総選挙 | ○284/310 | 511 | 追加公認+3 |
| 第37回総選挙 | ●250/339 | 511 | 追加公認+9 |
| 第38回総選挙 | ○300/322 | 512 | 追加公認+4、新自由クラブより合流+5 |
| 第39回総選挙 | ○275/338 | 512 | 追加公認+11 |
| 第40回総選挙 | ●223/285 | 511 | 追加公認+8、離党-3 |
| 第41回総選挙 | ○239/355 | 500 | |
| 第42回総選挙 | ●233/337 | 480 | |
| 第43回総選挙 | ○237/336 | 480 | 追加公認+4、保守新党より合流+4 |
| 第44回総選挙 | ○296/346 | 480 | 翌年の復党合流+11 |
| 第45回総選挙 | ●119/326 | 480 |
参議院
| 選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| (結党時) | 118/- | - | 250 | 「自民党のあゆみ」によれば、115 |
| 第4回通常選挙 | ○61/118 | 61 | 250 | 追加公認+2、死去-2、非改選入党+2 |
| 第5回通常選挙 | ○71/101 | 62 | 250 | 追加公認+2 |
| 第6回通常選挙 | ○69/100 | 73 | 250 | 追加公認+1 |
| 第7回通常選挙 | ○71/95 | 69 | 250 | |
| 第8回通常選挙 | ○69/93 | 68 | 250 | |
| 第9回通常選挙 | ●63/94 | 72 | 252 | 追加公認+1、繰り上げ当選+1 |
| 第10回通常選挙 | ●62/95 | 64 | 252 | 追加公認+1 |
| 第11回通常選挙 | ○63/77 | 61 | 252 | 追加公認+3、離党-2 |
| 第12回通常選挙 | ○69/77 | 66 | 252 | 追加公認+1、非改選入党+1 |
| 第13回通常選挙 | ○68/90 | 69 | 252 | |
| 第14回通常選挙 | ○72/83 | 71 | 252 | 追加公認+2 |
| 第15回通常選挙 | ●36/78 | 73 | 252 | 追加公認+2 |
| 第16回通常選挙 | ○69/82 | 39 | 252 | 追加公認+1 |
| 第17回通常選挙 | ●46/66 | 65 | 252 | |
| 第18回通常選挙 | ●44/87 | 59 | 252 | 追加公認+2 |
| 第19回通常選挙 | ○64/76 | 47 | 247 | (保守党5と統一会派) |
| 第20回通常選挙 | ●49/83 | 66 | 242 | |
| 第21回通常選挙 | ●37/84 | 46 | 242 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年 - 1999年)2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1996年 - 2003年)2 国会議員会派別議員数の推移(召集日現在)(衆議院、2001年 - 2008年)、(2) 参議院(2002年まで)(2)参議院 (召集日現在) (2001年 - 2008年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はなく、国会の記録は、議長就任による党籍離脱が行われたあとで-1となっている。
脚注
関連項目
外部リンク
- 自由民主党(公式サイト)
- 自民党ニュース
- 自由民主党 (日本) 公式YouTubeチャンネル (YouTube、Flash Video)(自民党の動画サイト「LDPchannel」)
- 自由民主党 女性局
- 自由民主党 青年局
- 自由民主党 中央政治大学院
- 自由民主党 東京都支部連合会・TOKYO自民党
- 自由民主党 学生部中央執行委員会(自民党学生部) - 自民党結党当時からの学生部組織。自民党学生部。多くの政治家を輩出し、自民党内における政治家への登竜門と言われている。4年制大学在学生を中心に日本の首都・東京から情報発信を続けている。
- TOKYO自民党政経塾 - 自民党東京都連の政治養成機関。塾長は前衆議院議員深谷隆司。前身は深谷隆司政経塾。社会人や学生など幅広い人材が受講。現在までに4期50名以上の議員・首長を輩出。
- 全国学生交流会(NSA) - 党本部青年局直轄の学生部組織。NSA。主に首都圏の大学生が参加。
- LDPラボ - 自由民主党のインターネット広報拠点。
- 自民党サービスセンター - 自民党関連グッズ(所属国会議員の著書、選挙対策グッズ、日章旗のネクタイピンやピンバッチ、総裁の揮毫や歴代総裁の湯呑みセットなど)を売っている。自民党本部1階に売店がある。
| 政党要件を満たしている政治団体 |
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 国会に議席を有する政治団体 | 新党大地(閣外協力) - 沖縄社会大衆党 | ||||||
| 地方議会に議席を有する全国的政治団体 | 新社会党 | ||||||
| Portal:政治学 - 日本の政党一覧 - 日本の政治 | |||||||
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