日本女子サッカーリーグについての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)

日本女子サッカーリーグ(にほんじょしサッカーリーグ、1部リーグの愛称:なでしこリーグ、2部リーグの愛称:チャレンジリーグ)は、女子サッカーのトップリーグである。

加盟チームはJリーグ傘下のクラブチーム・実業団チーム・市民クラブ(NPO法人・株式会社等)・学校法人等様々な形態をとっている。

選手は、1部リーグのなでしこリーグは社会人・大学生が主体だが、2部リーグのチャレンジリーグのチームの中には中学生・高校生が中心のチームもある。その構成はチームによりばらついている。また男子のトップリーグ(Jリーグ)が、ほぼプロ選手で構成されているのに対し、日本女子サッカーリーグは選手の多くがアマチュアである。

ちなみにリーグの呼称は第6回大会の前期まで略称「JLSL」、同大会後期から「2005年シーズン」までは略称「L・リーグ」[1]が使用され、2004年の途中からは愛称「なでしこリーグ」が制定されてL・リーグと併用[2]となったが、2006年から協賛スポンサーが付いたことなどにより「なでしこリーグ」が主に使われるようになった。[3]

2010年、なでしこリーグ改革により1部リーグを10チームからなる「なでしこリーグ」、残りのチームは新規参入チームとともに「チャレンジリーグ」に再編された。

目次

歴史

JLSLの誕生

1960年代から70年代にかけて日本ではサッカー競技を行う女性が少しずつ見られはじめ、やがて全国各地でチームが結成されるようになると、地域ごとの小規模なリーグによる試合が展開された。

それにより1980年から全日本女子サッカー選手権大会が開催されるようになったが、1990年に行われた第11回アジア競技大会で女子サッカーが正式種目になることから「女子にも全国リーグを」との機運が高まったため、1989年に全国の女子サッカーの強豪6チームにより「日本女子サッカーリーグ」が誕生。当時の男子サッカー全国リーグの「日本サッカーリーグ」の略称「JSL」に倣って「JLSL」という略称もつけられた。

1991年の第3回大会からJLSLは10チームに拡大。つづく第4回(1992年)には下部リーグ「JLSLチャレンジリーグ」も設けられ、JLSLの最下位チームと入れ替え戦を行うようになった。

世界最高の女子リーグ「L・リーグ」

1994年には、前年にプロ化した男子リーグが「Jリーグ」という略称を制定して人気を博したことなどにより、9月8日に略称「L・リーグ」を発表。後期日程の始まる10月から使用された。つづいて9月28日にはL・リーグ公式テーマソング「WE ARE THE WINNERS」が発表され、翌年には各チームのイメージソングも続々と作られた。

このころにはほとんどのチームが専用のグラウンドを持ち、クラブハウスを持つチームも誕生。プロ契約選手も登場し、世界中からも多くの外国人選手の集まる「世界最高の女子リーグ」と呼ばれていた。

リーグ消滅の危機

しかしアトランタオリンピック1996年)で日本女子代表が3戦全敗したことが影響し、観客が激減。さらにシドニーオリンピックへの出場権を逃したことや、バブル経済の崩壊から企業をバックにもつチームの相次ぐ解散や地域クラブ化、またプロ契約選手や外国人選手が次々とに契約解除にあうなどがおこる。

1998年のシーズン中にフジタサッカークラブ・マーキュリー日興證券ドリームレディースが続けて廃部を発表。リーグ終了後の理事会では翌シーズンから各チームに求めていた運営分担金を3分の1に減らし外国人選手を登録しないことなどを決め、規模を縮小して8チームで行うことを決めたが、1999年1月の全日本女子サッカー選手権大会終了後には鈴与清水FCラブリーレディースシロキFCセレーナが相次いで脱退を表明。リーグ衰退の危機に直面することになった。

そのため1999年からはチャレンジマッチ(←チャレンジリーグ)を廃止し、浦和レイナスFCの新規参入と、試験的にではあるが大学リーグから日本体育大学女子サッカー部を受け入れを行いチーム数を揃えることとした。しかしその年のシーズン後、日本体育大学女子サッカー部はレベルの違い(有力選手が卒業するなど毎年平均した戦力が整わない)などを理由にわずか1年で撤退し、またOKI FC Windsの解散、プリマハム松下電器のチームスポンサーから撤退によるクラブチーム化(伊賀フットボールクラブくノ一スペランツァF.C.高槻)、そしてメインスポンサー(旭国際開発)撤退による宝塚バニーズレディースサッカークラブの市民チーム化があり、企業の撤退によるチーム基盤の弱体化からリーグ全体のレベル低下を招くこととなった。

リーグ再興への模索

2000年からL・リーグは、経費節減などを目的に東西の地域別に分けた「一次リーグ」と、その成績により上位リーグと下位リーグに分けた「決勝リーグ」を行い、試合観戦を無料とした。これは有料開催にすると会場により基本料金が無料開催の2ないし5倍と大幅に上がる上、その収益に応じて会場使用料をさらに追加することになるため、たとえ1000円という比較的安価な入場料ではあっても徴収するとかえって経費が掛かるということを鑑みたのである。

しかし「サッカーをすること」そして「日本女子代表になること」を目的とする選手を中心に構成された従来から所属の「セミプロクラブ」や「実業団チーム」と、「サッカーを楽しむ」ことを目的とする「市民クラブチーム」との対戦とが一次リーグでは生じ、レベルや意識の違いから対戦の際にさまざまな弊害が指摘された。また経費節減を優先するあまり、2003年度まではJリーグ東京ヴェルディ1969の練習場(ヴェルディグラウンド 稲城市)などスタンドや得点表示のない会場での試合がいくつか見られた。

だが2003年に行われた第4回女子ワールドカップにより女子サッカーに対する関心が再び高まり、10月23日にはJリーグ・東京ヴェルディ1969対清水エスパルスの後座試合として、日テレ・ベレーザ対宝塚バニーズの試合がL・リーグとしては初めての国立霞ヶ丘陸上競技場において開催されるなど、少しずつ人気回復への策が取られるようになっていった。

なおこの年は田崎ペルーレFCが念願の初優勝を成し、2004年1月に開かれた全日本女子選手権も制して2冠を果たしている。

二部制の導入と「なでしこ」人気

2004年からは上位と下位の各8チームずつの二部制に移行。L1の最下位とL2の1位チームが自動入れ替えとなった(ただしL2リーグについては2004年は6チーム、2005年は7チームの参加であった)。

6月に開幕したこのシーズンは日本サッカー協会の掲げる「キャプテンズ・ミッション」に「女子サッカーの活性化」が盛り込まれたことなどにより、すべてスタンドのある会場で実施された。経費節減の関係から電光掲示板を使用しなかったり選手名の表示がなかったりではあったが、4月に行われたアテネオリンピック・アジア予選により女子サッカーに注目が集まったこともあって、以前に比べて多くの観客が訪れるようになった。とくにオリンピック中断前では最後の試合となる7月25日の日テレ・ベレーザTASAKIペルーレFC戦(稲城中央公園総合グラウンド)では女子サッカーでは異例の2500人もの観客を集めた。

オリンピック本戦では「なでしこジャパン」という愛称を与えられたサッカー日本女子代表がベスト8の成績を収めて女子サッカーへの注目が集まったため、9月には新たに「なでしこリーグ」という愛称が採用された。これは、これからの世界規模の大会でのなでしこジャパンの躍進をL・リーグから作ろうという趣旨が込められ、これはまた「なでしこ」を日本女子サッカーのブランドとすることによりリーグへの注目を高めるという狙いもあるといわれている。

この年のリーグ戦はさいたまレイナスFCが初優勝を飾った。

2005年兵庫県神戸市を本拠地とするINACレオネッサが4月からL2に加盟。L1・L2ともに3回戦での総当たり(リーグ)戦を行った。リーグ開幕の直前には男子の富士ゼロックス・スーパーカップに相当するなでしこスーパーカップが新設され、L・リーグチャンピオンが全日本女子サッカー選手権大会の優勝チームと対戦。日テレ・ベレーザ浦和レッズレディースを敗って初代女王となった。

また6月26日には日テレ・ベレーザ対浦和レッズレディース戦(ひたちなか市総合運動公園陸上競技場)が試験的に「有料試合」(小学生以上・前売り700円、当日800円)で行われ観客1095人が訪れた。

「mocなでしこリーグ」

2006年、日本女子サッカーリーグはブライダル産業やレストランなどを展開するモック(moc)を協賛スポンサーに迎え、「mocなでしこリーグ」としてスタートすることになった。

また福岡県春日市を本拠地とする福岡女学院フットボールクラブのトップチームが福岡J・アンクラスとしてディビジョン2に加盟し、宝塚バニーズは本拠地を京都府に移して「バニーズ京都サッカークラブ」となった。

ディビジョン1の優勝チームにはモック(moc)のグループ会社であるアイプリモから1億円のティアラが贈呈されることとなり、なでしこリーグオールスターで初披露ののち、公募により「アイプリモ なでしこクイーンズ ティアラ」と名づけられ、日テレ・ベレーザが初代授与チームとなった。

2007年は序盤にTASAKIペルーレFCが無敗で独走しかけたが、後半にベレーザの追い上げにあい、勝ち点8差を逆転されてベレーザが3連覇を達成した。

「plenusなでしこリーグ」

2008年開幕前にモック(moc)のリーグスポンサー撤退が発表された。3年契約の予定を、スポンサーの都合により2年で撤退したことから「なでしこスーパーカップ」が中止になる等、一時的に「メインスポンサー無し」による影響がでたが、開幕直前に株式会社プレナス(plenus)と3年間のトップ・パートナー契約を結び、リーグ名称を「plenusなでしこリーグ」とすることになり、オールスターも開催が決定した。

また、鹿児島県鹿児島市を本拠地とする鹿児島鴨池フットボールクラブアサヒナがディビジョン2に準加盟し、全17チームで運営されることになった。

2009年はTASAKIペルーレFCの休部による退会とジュ ブリーレ 鹿児島(鹿児島鴨池フットボールクラブアサヒナ改め)の正式加盟により全16チームで運営されることになった。

浦和レッドダイヤモンズ・レディースが日テレ・ベレーザに勝ち点11の差をつけて移管後では初、さいたまレイナスFC時代を含めると2回目の優勝を遂げた。

リーグ戦終了後に行われた入れ替え戦で福岡J・アンクラスがスペランツァF.C.高槻を破り、2010年から再編される新たな「なでしこリーグ」に参加する10チームが決定した。

「プレナス なでしこリーグ」・「プレナス チャレンジリーグ」

2010年、10チームからなる全国リーグの「プレナス なでしこリーグ」(1部リーグ)、東西各6チームからなる東日本・西日本地域の「プレナス チャレンジリーグ EAST/WEST」(2部リーグ)にリーグ再編された。

また、2009年より大韓民国において女子サッカーリーグ「WKリーグ」が発足されたのに伴い、日韓リーグ優勝クラブによる対抗戦「日韓女子リーグチャンピオンシップ」が創設された。

2010年の参加チーム

プレナス なでしこリーグ2010(日本女子サッカーリーグ1部リーグ)

プレナス チャレンジリーグ2010(日本女子サッカーリーグ2部リーグ)

EAST

WEST

過去の参加チーム(参考)

歴代優勝チーム

優勝チーム
1989清水FCレディース
1990読売サッカークラブ女子ベレーザ
1991読売サッカークラブ女子ベレーザ
1992読売日本サッカークラブ女子ベレーザ
年間優勝チーム前期優勝(上段)
後期優勝(下段)
1993読売日本サッカークラブ女子ベレーザ鈴与清水FCラブリーレディース
読売日本サッカークラブ女子ベレーザ
1994松下電器LSCバンビーナ読売西友ベレーザ
松下電器LSCバンビーナ
1995プリマハムFCくノ一プリマハムFCくノ一
プリマハムFCくノ一
1996日興證券ドリームレディース日興證券ドリームレディース
日興證券ドリームレディース
1997日興證券ドリームレディース読売西友ベレーザ
日興證券ドリームレディース
1998日興證券ドリームレディース日興證券ドリームレディース
日興證券ドリームレディース
1999プリマハムFCくノ一プリマハムFCくノ一
NTVベレーザ
年間優勝チーム東日本リーグ1位(上段)
西日本リーグ1位(下段)
2000日テレ・ベレーザ日テレ・ベレーザ
田崎ペルーレFC
2001日テレ・ベレーザ日テレ・ベレーザ
田崎ペルーレFC
2002日テレ・ベレーザ日テレ・ベレーザ
田崎ペルーレFC
2003田崎ペルーレFCYKK東北女子サッカー部フラッパーズ
田崎ペルーレFC
L1優勝チームL2優勝チーム
2004さいたまレイナスFC岡山湯郷Belle
2005日テレ・ベレーザINACレオネッサ
ディビジョン1優勝チームディビジョン2優勝チーム
2006日テレ・ベレーザアルビレックス新潟レディース
2007日テレ・ベレーザ東京電力女子サッカー部マリーゼ
2008日テレ・ベレーザジェフユナイテッド市原・千葉レディース
2009浦和レッズレディースASエルフェン狭山FC

通算優勝回数

優勝回数チーム名
11回日テレ・ベレーザ(読売ベレーザ)
3回日興證券ドリームレディース
2回伊賀フットボールクラブくノ一(プリマハムFCくノ一)
浦和レッズレディース(さいたまレイナスFC)
1回清水FCレディース
スペランツァF.C.高槻(松下電器LSCバンビーナ)
TASAKIペルーレFC(田崎ペルーレFC)
  • 前後期制は年間成績、2部制は1部リーグを対象に集計

歴代の試合方式

名称
(年)
チーム試合方式
第1回
(1989-90年)
66チームの2回総当り。80分(40分ハーフ)の成績のみで勝ったチームに勝ち点2、引き分けは1点、負け0点。同点の場合は得失点差(当時の呼び名は「ゴールディファレンス」)→総得点(いずれも多い方)→総失点(少ない方)→直接対決の成績→順位決定戦(必要と認めた場合のみ。行わない時は抽選)の順(以下同じ)で決定した。
第2回
(1990-91年)
総当り回数が3回に変更された以外は第1回と同じ。
第3回
(1991-92年)
104チーム増加して10チームによる2回戦総当りに。外国籍選手について「登録4名、ベンチ入り3名」と規定。そのほかは1回と同じ。
第4回
(1992年)
シーズン後半にはL・リーグに参加を希望するチームを対象とした「JLSLチャレンジリーグ」が開催され、同大会の優勝チームとL・リーグの年間最下位のチームがホーム・アンド・アウェーの2回制(成績はまず2試合の総得点を優先)による入れ替え戦を行った。
第5回
(1993-94年)
Jリーグと同じようにVゴール延長方式PK戦の完全決着方式を実施。また年間2回総当りを1回ずつ前・後期に区切って開催し、それぞれのステージの1位チームが年度優勝をかけて1試合による決勝戦(チャンピオンシップ)を行った。(同一チーム優勝の)場合はそのチームが年度優勝となり決定戦を行わない)3位以下の順位は勝ち星数を最優先とし、同数の場合は80分(第7回からは90分)の勝ち星の多いチームが上位に。以下、得失点差など上記レギュレーションにより決定した。
通常の試合時間は第6回(1994年)までは80分だったが、第7回(1995年)から男子と同様の90分(45分ハーフ)に変更された。
JLSLチャレンジリーグ」との入れ替え戦も引き続き制定されたが、JLSL(L・リーグ)所属チームの脱退により実施されない年もあった。
第6回
(1994年)
第7回
(1995年)
第8回
(1996年)
第9回
(1997年)
第10回
(1998年)
第11回
(1999年)
8年間2回総当りを1回ずつ前・後期に区切って開催し、各ステージ1位チーム同士で1試合による決勝戦を行った。Vゴール延長戦が廃止され、90分制、勝ち点制(勝ち3、引き分け1、負け0)が復活。勝ち点が同じ場合のレギュレーションは上記に同じ。
第12回
(2000年)
9
(東4/西5)
前期は東西2ブロックによる2回総当り(参加チーム数は各年度により異なる)の地域リーグを行い、その成績により上位2チームずつの4チームが後期・上位リーグ(2回総当り)へ、それ以外は後期・下位リーグ(1回総当り)に回る。勝ち点、順位の決定方法は第11回大会に同じ。
第13回
(2001年)
10
(東5/西5)
第14回
(2002年)
11
(東6/西5)
第15回
(2003年)
13
(東7/西6)
前期は第11〜14回と同じく東西2ブロックによる2回総当りの地域リーグ戦を行い、各ブロック上位2チームずつが後期・上位リーグ(2回総当り)に進出するとともに、2004年度の第16回大会でのL1リーグ(1部)参入が自動的に決定する。
それ以外のチームは後期・下位リーグ(1回総当り)に回り、5位以下は自動的にL2リーグ(2部)参入。上位4チームで更に1回総当りによる「2004 L1参入チーム決定戦」を行い、上位2チームがL1リーグ、下位2チームがL2リーグへそれぞれ回る。
2004
(第16回)
(2004年)
L1:8
L2:6
完全1・2部制を実施し、L1リーグは8チーム2回総当り、L2リーグは6チーム3回総当りの成績(勝ち点などのレギュレーションは第11〜15回に同じ)で順位を決定し、L1の8位とL2の1位チームが翌年度自動入れ替えとなる。
2005
(第17回)
(2005年)
L1:8
L2:7
L1は8チーム、L2は7チームのいずれも3回総当り(勝ち点等のレギュレーション、入れ替え方式は前回と同じ)とする。
2006
(第18回)
(2006年)
D1:8
D2:8
ディビジョン1(L1改め)は2回戦総当りのリーグ戦(レギュラーリーグ)を行い、上位4チームによる上位リーグと残り4チームによる下位リーグでそれぞれプレーオフ(1回戦総当り)を行う。
ディビジョン2(L2改め)は1チーム増の8チームによる3回戦総当りのリーグ戦。
ディビジョン1の最下位とディビジョン2の1位チームは自動入れ替え。
ディビジョン1の7位とディビジョン2の2位で入れ替え戦を実施する。
2007
(第19回)
(2007年)
ディビジョン1、ディビジョン2とも8チームによる3回戦総当りとする。
入れ替え方式は前回と同じ。
2008
(第20回)
(2008年)
D1:8
D2:9
ディビジョン1は8チームによる3回戦総当りとする。
ディビジョン2は9チーム(うち1チームは準加盟)による2回戦総当りを行なう。
入れ替え方式は当初、前回と同じ予定であったが、当シーズン限りで1チームの退会が決まったため、ディビジョン1最下位チーム(退会チームを除く)が自動降格からディビジョン2の2位との入れ替え戦実施に変更。ディビジョン2の1位は自動昇格。
2009
(第21回)
(2009年)
D1:8
D2:8
ディビジョン1、ディビジョン2とも8チームによる3回戦総当りとする。
ディビジョン1の最下位とディビジョン2の3位チームで入れ替え戦を実施する。
ディビジョン2の1位と2位は自動昇格。
  • 2003年までの名称は「第○回」であったが、2004年からは西暦での表記に変更されている。ただしクラブが作成のポスターなどに回数での表記が見られることがある。

イメージソング

略称をL・リーグとした1994年と、「mocなでしこリーグ」となった2006年にイメージソングが作られている。

L・リーグ

1994年9月28日、L・リーグは公式テーマソング「WE ARE THE WINNERS」を発表した。これは社団法人日本音楽事業者協会の30周年記念行事として行われた「クロスマーケティング・キャンペーン」の一環によるものであったが、モーリス・ホワイトによるこの曲の日本語版が翌1995年2月下旬に酒井法子らにより発売された。また4月26日には各クラブのイメージソングが発表され、のちに市販されるとともに試合会場でも流された。

L・リーグ公式テーマソング「WE ARE THE WINNERS」

歌手名曲名レーベル発売日
リン・リンゼイ
モーリス・ホワイト(プロデュース)
WE ARE THE WINNERS日本コロムビア1995年1月21日
酒井法子 with
L・リーガーズ(※)
OH OH OH~ We are the Winnersビクターエンタテインメント1995年2月22日
タイガース・メモリアル・
クラブ・バンド
OH OH OH~ We are the Winnersポリスター1995年2月25日
キッス・イン・ザ・ダークOH OH OH~ We are the Winners日本コロムビア1995年2月21日

※L・リーガーズ:L・リーグ選手がボランティアでコーラス参加 (メンバー)

L・リーグ10チーム・イメージソング

チーム名歌手名曲名レーベル発売日
読売西友ベレーザ和田アキ子約束の夢ワーナーミュージック・ジャパン1995年5月25日
TOKYO SHiDAX LSCマルシアAMOR…SAUDADE日本コロムビア1995年4月21日
鈴与清水FC
ラブリーレディース
Ah-ya(あや)Trust~今日が始まる~BMGビクター1995年5月24日
プリマハムFCくノ一かとうれいこBrand-new Daysポニーキャニオン1995年7月21日
松下電器パナソニック
バンビーナ
佐藤聖子VOICEフォーライフ・レコード1995年5月19日
田崎ペルーレFCMika(みか)BRIGHTEST BLUEバップ1995年6月1日
日興證券ドリームレディース早見優CHANCE~めぐりあいを
宝石にかえて~
東芝EMI1995年6月7日
フジタサッカークラブ・
マーキュリー
三浦理恵子Girls, be ambitious!イーストウエスト・ジャパン1995年6月10日
シロキFCセレーナ生稲晃子ファンキー ララバイイーストウエスト・ジャパン1995年6月10日
宝塚バニーズ
レディースサッカークラブ
日向薫Eeyo Eeyo SAMBA!日本コロムビア1995年4月21日
郷真由加パープル・イレブン

mocなでしこリーグ

2006年5月、mocなでしこリーグの開幕にあわせてイメージソングが発表され、試合会場では試聴版のCDが配布された。

mocなでしこリーグ オフィシャル・サポートソング「It's alright!!」

歌手名曲名レーベル発売日
MARKOIt's alright!!HONEY'S MUSIC

主催団体およびスポンサー等

主催

オフィシャルスポンサー

リーグ戦

  • 株式会社モック(moc) なでしこリーグ(2006 - 2008 2007年[4]
  • 株式会社プレナスなでしこリーグ(2008 - 2010年)

カップ戦

公式試合球

関連大会

以下の大会は、現在行われていない。

脚注・出典

  1. ^ Lリーグと書かれることがあるが、正しくは「L・リーグ」(英文表記はL.LEAGUE)である。
  2. ^ 【L・リーグ】日本女子サッカーリーグの愛称について
  3. ^ L・リーグの名称は、規約上は残っているため、文書などでは見られることもある。
  4. ^ 当初3年契約であったが、スポンサーの都合により2年で打ち切られる。

関連項目

外部リンク

公式サイト

サポーターサイト


日本女子サッカーリーグ

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第14回L・リーグ(2002年) | 第15回L・リーグ(2003年) | 2004 L・リーグ(2004年) | 2005 L・リーグ(2005年)
mocなでしこリーグ2006(2006年) | mocなでしこリーグ2007(2007年) | plenusなでしこリーグ2008(2008年)
plenusなでしこリーグ2009(2009年)