芝 (東京都港区)についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)

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(しば)は、東京都港区にある町名。当地域の人口は、11,137人(2009年4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。狭義には現在の町丁名(芝一丁目、芝二丁目、芝三丁目、芝四丁目、芝五丁目)の区域を指す。また、広義には旧東京市芝区の範囲全域を指す。かつての芝区の範囲とは、現在の港区の範囲のうち、赤坂青山麻布六本木を除くすべての地域のことである。本稿ではおもに現行の芝について述べる。

目次

概要

港区の東部に位置し、町域内にJR山手線京浜東北線田町駅都営地下鉄浅草線三田線三田駅がある上、国道15号線日比谷通りの交差点もあり、交通の要所となっている。田町駅と三田駅周辺を中心として商業地、飲食店街、ビジネス街として栄えており、大通りの裏には古くからの住宅街も混在している。

また、港区内の他の地域同様に複数の国の大使館もあるほか、教育施設や宗教施設も多い。なお、最近では再開発にともない、セレスティンホテル中央三井信託銀行本社、NECスーパータワーNEC本社)などの大企業本社が入居する大型ビルや、カテリーナ三田や芝パークタワー、ラ・トゥール芝公園などの高級高層マンションも増えている。

郵便番号は105-0014(芝一丁目、芝二丁目、芝三丁目)及び108-0014(芝四丁目、芝五丁目)で丁目によって異なるが、これは郵便事業会社の管轄支店が異なる(105が芝支店、108が高輪支店)ためである。

歴史

現在の港区芝の地域は、江戸時代の始めまでは豊島郡柴村・荏原郡金杉村・荏原郡上高輪村であった。

  • 戦国時代までに、武蔵国荏原郡柴村が成立する。柴村は後に豊島郡の所属となる。
  • 江戸時代東海道の整備によって柴村は急速に発展し、柴町・芝町とも呼ばれるようになる。またこの頃から、柴村の周辺地域も「芝」と呼ばれるようになる。
  • 寛文2年(1662年)、豊島郡柴村が町奉行支配となり、本芝7ヶ町が成立する(本芝一~四丁目・本芝入横町・本芝下タ町・本芝材木町)。また同時に、隣接する荏原郡金杉村・荏原郡上高輪村も町奉行支配となり、金杉11ヶ町(芝金杉通一~四丁目など)・芝田町などが成立する。
  • 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、当地域は東京府の所属となる。
  • 明治2年(1869年)、芝金杉地区に町域統廃合が行われ、芝金杉一~四丁目・芝金杉川口町などが成立する。
  • 明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、当地域は東京府芝区の所属となる。
  • 明治22年(1889年)、東京市成立にともない、当地域は東京市芝区の所属となる。
  • 明治44年(1911年)5月1日、町名より「芝」の冠称が省かれる。
  • 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に再び「芝」の冠称がつく。
  • 昭和39年(1964年1月1日住居表示の実施にともない、本芝地区・芝金杉地区・芝三田四国町などをあわせて現在の芝一~五丁目が成立する。

住居表示実施前後の町名の変遷

実施後実施年月日実施前(各町名ともその一部)
芝一丁目1964年1月1日芝金杉一~四丁目、芝金杉浜町、芝金杉川口町
芝二丁目芝金杉一~四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町、芝三田四国町
芝三丁目芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町、芝三田四国町
芝四丁目本芝一~四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町、芝三田四国町
芝五丁目本芝四丁目、本芝入横町、芝田町一~三丁目、芝三田四国町、芝三田同朋町、芝通新町、芝横新町

施設・名所

芝一丁目
  • 港区立障害保健福祉センターヒューマンぷらざ
  • 経覚寺
芝二丁目
芝三丁目
芝四丁目
芝五丁目

ギャラリー

関連項目

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