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ディルク・カイト
名前
ラテン文字Dirk Kuyt
基本情報
国籍 オランダ
生年月日1980年7月22日(29歳)
出身地カトヴァイク
身長184cm
体重77kg
選手情報
在籍チームイングランドの旗 リヴァプール
ポジションFW
背番号18
利き足右足
クラブチーム1
クラブApp (G) 
1998-2003
2003-2006
2006-
FCユトレヒト
フェイエノールト
リヴァプールFC
160 (51)
101 (71)
98 (24)
代表歴 2
2004- オランダ60 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年2月26日現在。
2. 2010年3月3日現在。
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ディルク・カイトDirk KuytDirk KuijtNl-Dirk Kuijt.ogg 発音ヘルプ・画像:Nl-Dirk Kuijt.ogg)1980年7月22日 - )は、オランダ南ホラント州カトヴァイク出身の同国代表プレミアリーグリヴァプールFC所属のサッカー選手。ポジションはFW

目次

経歴

リヴァプールでのカイト
リヴァプールでのカイト

1998年ユトレヒトに入団。1年目から頭角を現してレギュラーとして活躍。2002-2003シーズンには20得点を挙げる活躍を見せ、KNVBカップ獲得にも貢献した。その活躍が認められて2003-2004シーズンからはそのシーズンで移籍したピエール・ファン・ホーイドンクの代役としてフェイエノールトでプレー。サロモン・カルー(現チェルシー)と強力2トップを形成し、ここでも高い得点能力を発揮して20得点を挙げ、チームの主力に成長した。

翌2004-2005シーズンには開幕戦のデ・フラーフスハップ戦でハットトリックを決めるなどこのシーズンも高い得点力を発揮しキャリアハイの29得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。2005-2006シーズンにはキャプテンに就任しチームを引っ張り、自身も25ゴールを挙げる活躍をした。オランダで1999年から2006年までの7シーズンで233試合が行われ、カイトはそのうちわずか5試合しか欠場しなかった。また2001年3月から2006年4月までの間179試合連続出場を記録した。

2006年夏、イングランドのプレミアリーグリヴァプールに移籍した。移籍金は1800万ユーロ(約26億6400万円)。移籍してまもなくレギュラーとして活躍し始め、2006-2007シーズンは、ピーター・クラウチクレイグ・ベラミールイス・ガルシアらと2トップを組み、チーム最多となる12得点を記録した。

2007-2008シーズン、開幕前にチームはフェルナンド・トーレスアンドレイ・ヴォロニンといったワールドクラスの選手を前線に補強。しかし、トーレスとの2トップは機能したとは言い切れず、リヴァプールはスタートダッシュに失敗。優勝戦線からの早期脱落を余儀なくされると、チームはシステムを4-4-2から、スティーヴン・ジェラードをトップ下に配置する4-2-3-1に変更する。これに伴い、1トップの座をトーレスに譲ると、カイト自身は右MFとして新境地を開拓し、本職であるヨッシ・ベナユンジャーメイン・ペナントを差し置いて、レギュラーとして活躍を続ける。ポジションがゴールから離れた位置に変更されたこともあり、リーグ戦でのゴール数は極端に減少(32試合で3ゴール)したものの、UEFAチャンピオンズリーグではゴールを量産(11試合で5ゴール)した。

2008-2009シーズンは、開幕当初から、右MFに固定され、トーレスの不在時には代役を完璧にこなすなど、抜群の存在感を示した。

2009-2010シーズン、カイトが試合後アンフィールドで出待ちのファンにサインをしていたところ、娘推定2歳が父の姿を真似、出待ちのファンにボールペンでサイン(お絵かき)をするという偉業を達成する。ただし、カイト本人は他のファンにサインをしていたためにこのことには気付いていない。ちなみにこの子の髪も顔もカイトにそっくりである。

代表歴

オランダ代表でのカイト
オランダ代表でのカイト

当時代表監督であったマルコ・ファン・バステンよりロイ・マカーイパトリック・クライファートといったストライカーが多くいたオランダ代表に初招集を受けた。2004年9月3日のリヒテンシュタイン戦では代表デビューを果たした。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では12試合中試合をスタメンで出場し、本戦出場に貢献した。

2006 FIFAワールドカップではベンチに降格してしまう。グループステージ初戦のセルビア・モンテネグロ代表戦で後半14分にルート・ファン・ニステルローイに代わって出場した。2試合目終了時点でグループステージ突破が決まったため、3試合目のアルゼンチン代表戦ではスタメンで出場した。決勝トーナメント初戦のポルトガル代表戦ではファン・ニステルローイに代わりスタメンのチャンスが回ってきたがゴールは挙げられず1-0で敗れチームは敗退した。

2008年にはUEFA欧州選手権2008のメンバーに選出され、6月9日に行われたグループステージ初戦のイタリア代表戦でヴェスレイ・スナイデルジョバンニ・ファン・ブロンクホルストのゴールをアシストしチームの勝利に大きく貢献した。6月13日のフランス代表戦では前半9分にゴールを挙げ勝利に貢献した。しかしチームは決勝トーナメント初戦のロシア代表戦で敗れ敗退した。

プレースタイル

元々はフォワードであるが、現在ではサイドハーフも器用にこなす。特筆すべきは守備意識の高さで、無尽蔵のスタミナを武器に前線から積極的にプレスをかける。アタッカーとしての派手さはないが、質の高い動き出しと1つ1つ正確なプレーでチームに貢献する。 またリヴァプール移籍後は、特別多くのゴールを決めているわけではないが、ここ1番で貴重なゴールを決める勝負強さを兼ね備えている。

タイトル

クラブ
オランダの旗 FCユトレヒト
イングランドの旗 リヴァプールFC
個人

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ