日野トレーラーバスT11型についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)

日野トレーラーバスT11B型 + T25型は、太平洋戦争敗戦後の日本で、日野自動車(当時、日野産業)が1947年10月から1950年まで製造した、96人乗りのセミトレーラー大型バスである。

目次

概要

終戦当時の東京では、度重なる空襲や物資不足から、良好な稼働状態の車両が非常に不足していた。そのような中、少ない車両数で、できるだけ多くの乗客を輸送するべく、自動車メーカー各社はトラックやバスの大型化を競い、単車ながら民生産業からは100人乗りのバスも発表されているが、当時の狭い道路での取りまわしを考慮すると闇雲な大型化は不可能であった。

そのような中、日野産業は戦後復興の輸送力増強策として、進駐軍が持ち込んでいた大型車両を参考に、同社が戦時中に帝国陸軍向けに納入していた一式半装軌装甲兵車一式装甲兵車用の統制型エンジンの一種である直列6気筒空冷ディーゼルエンジンを用い、セミトラクターヘッドのT10型と、狭隘路での取り回し性能に秀でたトレーラートラックのT20型を、1946年に発表する。

1947年、それらの経験を生かし、エンジンを水冷に改めたT11B型セミトラクターヘッド(Bはバス用の意)と、荷台を客室に変更したT25型トレーラーバスを組み合わせ、発表する。定員運転手1名、車掌2名、乗客96名である。トラックタイプとあわせ、復興期の輸送に貢献している。

全長は13メートル88センチ、運転席は左側(左ハンドル)であった。都営バスを皮切りに、日本各地の都市に納入され、東京急行電鉄では、1948年11月から東京駅洗足池大田区)間の路線に投入され、最大150人乗りとして報道された(乗車率150%以上で、もちろん定員オーバー)。五十嵐平達は、この路線の狭隘な路地と、そこを這い回る大型車両のミスマッチに面白みを見出しており、カーマガジン誌の連載企画であった「写真が語る自動車の戦後 ― アルバムに見る50年 (コンテンポラリィ・ノンフィクション)」に、自身の撮影による写真を添えた記事を綴っている。

このトレーラーバスは、日増しに増え続ける復員兵による混雑や、車両不足に悩む事業者には好評をもって迎えられ、仕様の異なるT12B + T25やT12B + T26が続いて生産されている。

    • トラクターT10型は、鍛造品生産技術の制約から、長いフロントアクスルビームを用いず、トレーリングアームにコイルばねを組み合わせた独立懸架であった。(国産大型車初の前輪独立懸架)
    • 左ハンドルとしたのは、コスト制約による軍用車の部品流用の結果であるが、当時は、巨体の歩道側安全確認に好都合だったとも言われた。
    • 全長は13.9 m もあるが、セミトレーラーの特性を生かし、6 m 幅の直角な道路を曲がることが可能である。
    • 当時としては珍しい2扉の客室(全長10.5mのトレーラー)側では、2名の車掌がそれぞれにブザーを押して、孤立した運転席に「発車オーライ」の合図をするという運転方法をとった。
    • 大きな火災事故の影響や、スペース効率が高く、運転の楽な大型リアエンジンバスの台頭により、トレーラーバスは廃れていった。詳細はこちらを参照のこと。

参考文献

  • バスラマ No.19
  • バスラマスペシャル1995

関連項目

外部リンク