プロテスタントについての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)
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プロテスタント(Protestant)は、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に福音主義を理念とするキリスト教諸派の総称である。日本ではカトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。
ただし、聖公会(英国国教会)は教義上はプロテスタントだが、儀式・礼拝はカトリックという独自の立場から特に教会一致運動に寄与している。聖公会の中には、聖公会をプロテスタントに分類する事を避け、カトリックとプロテスタントの中間としての立場を強調する見解も根強く存在する。
カトリック教会はそれに属する全ての教会が、中央である教皇庁(バチカン)によってまとめられており、正教会は基本的には国や地域ごとに教団は複数に分かれているものの、同じ教義・奉神礼を共有し、連合体として存在している。
これに対し、プロテスタントは特定の教派・教団を指す名称ではなく、神学や教義解釈がそれぞれ異なる多数の教派(主にカトリックから分裂した教派、もしくはそこから更に分裂した教団)を総称して呼んでいるに過ぎず、よってプロテスタントという教派(宗派)は存在しない。
また、同じ教派でも法人としての教団は更に分かれている事も多い。
- 例:~ルーテル教団、ルーテル~教会、○○ルター派××教団(法人が別なだけでなく、交流すらないケースもある)
これは移民や宣教によって成立母体が異なる場合や、教義の解釈によって分裂が起こることに起因する。ルーテル教会には修道院制度が僅かながら存在するが、他のプロテスタント諸派には修道院制度が存在しないなど、プロテスタント諸派の間には小さく無い差異がある。
プロテスタントと呼ばれる諸派は主にカトリック分離組を源流としており、正教会からの分離組を指す事はない。カトリック分離組であっても聖公会をプロテスタントと呼ぶか否かには各教団、信徒個人で意見が分かれ、復古カトリック教会はカトリックを自称しており、分離の理由となった教皇不可謬説の否定以外はローマ・カトリックとほぼ同じ教義を持つ為、プロテスタントには含まれないとされる。非常に稀な例ではあるが、プロテスタントの流れでありながら正教会の奉神礼を採用しているエヴァンジェリカル・オーソドックス教会という教派も存在する。しかし、これは元々福音派系プロテスタントであった教派が結果的に正教会の奉神礼を採用したのであり、源流は正教会ではなくカトリック分離組の流れ(福音派経由)のプロテスタントである。尚、この教派の多くの教会は最終的にどこかしらの地域の正教会に合流しており、独自のプロテスタント教派としては現在では数を減らしている。
目次 |
歴史
1517年以降、マルティン・ルターらによりカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起こされた。
1524年、ドイツ農民の不満を背景に、急進派トマス・ミュンツァー率いる武装農民が蜂起し、これに対してルター派の諸侯らが激く衝突、多くの犠牲が生じたいわゆるドイツ農民戦争が勃発した。1529年にルター派の諸侯や都市が神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求める「抗議書(プロテスタティオ)」を送った。そのためこの派は「抗議者(プロテスタント)」と呼ばれるようになった。
ルターらは洗礼と聖餐以外の教会の諸秘跡を排し、聖書に立ち返る福音主義を唱え始め、また西方教会では、それまでほとんどラテン語でのみ行われていた典礼や聖書をドイツ語化するなど、著しい改革を行った。このため次第にルター派は北ドイツからドイツ全体へ広まり、その信者は増加していった。
ルターは信仰義認という教理を提唱した者としてよく知られている。ルター派の特に信仰義認は、カトリック教会のトリエント公会議などにより排斥された。その結果として別個の教派を築くこととなった。
宗教抗争は政治権力抗争ともからみ、ドイツ地域の内乱状態は30年間続いた。内乱終結のアウグスブルクの和議(1555年)により、プロテスタントもカトリック教会と同様に信教の自由の地位を保証されることとなる。ルター派は北方に広まり、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーで国教となった。
ドイツ改革とほぼ同時期に、スイスでも宗教改革運動が起こった。カトリック司祭のフルドリッヒ・ツヴィングリは聖書のみ、信仰のみという教理を展開し、彼の弟子たちから幼児洗礼を否定し再洗礼を認めるアナバプテスト派が生じ[1]、後に改革派教会からも排斥されることになる(ウェストミンスター教会会議)。また、ツヴィングリは、聖餐論においてルター派と対立することになる。[2]
内乱状態の後を受けて、ジャン・カルヴァンが登場し、彼はツヴィングリを受け継いでスイスにおける宗教改革の指導者となる。カルヴァンは新しい教会の組織制度として長老制を提唱した。大陸におけるカルヴァン派の教会が改革派教会と呼ばれ、ジョン・ノックスのスコットランドを経由した英国系のカルヴァン派の教会が長老派教会(その後アメリカへと進出)と呼ばれる。カルヴァンは二重予定説を提唱し、カルヴァン派で受け継がれ、カルヴァン主義とも呼ばれる。予定説も、ルター派と同じくトリエント公会議で排斥の対象となる。カルヴァン派は、混乱から社会を救うため、宗教と政治、教会と国家を明確に機能区分することを提唱する。また一般市民の信仰生活に対して、世俗職業を天職(神の召命 (Vocation, Calling))とみなして励むこと、生活は質素で禁欲的であること等を説き、これが勃興期の資本主義の精神と適合したといわれる。(次のセクションの注)カルヴァン主義は、西方のフランス・オランダ・イギリス・アメリカへ広がった。後に、オランダ改革派から、このカルヴァン主義からの思想が非聖書的であると唱え、カルヴァン主義の予定説に反対し、ヤーコブス・アルミニウスとその後継者によってレモンストラント派[Remonstrants Church](アルミニウス派)が現れる。1610年、改革派はドルト会議にて、アルミニウス派を異端として排斥する。このアルミニウス派の思想は、後にメノナイト派、ジェネラル・バプテスト派(普遍救済主義のバプテスト)、メソジストのウェスレー派などに継承されることになる。 なお現在、各教団の神学の基本思想としてカルヴァンかアルミニウスかの2極に分かれる傾向がある。
16世紀末頃、英国国教会の内部において、ピューリタンと呼ばれる改革派教会の方向へ改革を求める人々が現れた。イングランドのカルヴァン主義は、ジョン・ノックスのスコットランドの影響を受けていたが、更にこの改革運動を急進的にし、国教会から非合法に教会を建てようとする者らが現れた。彼らは分離派と呼ばれる。ピューリタンおよび分離派は、国教会の特に監督制に反対し会衆制を主張した。分離派は、国教会から分離せずに内部から教会改革を志すピューリタンに対しても、偽りの教会に属するとして相互聖餐を拒否していた。英国の分離派の思想は、ロバート・ブラウン(Robert Browne)に始まったとされる。これがやがて、ジェネラル・バプテスト派の母教会の牧師ジョン・スマイス (John Smyth) に受け継がれる。スマイスはジェネラル・バプテスト派の創始者トマス・ヘルウィス (Thomas Helwys) に恩師として影響を与えた。ただし、当時ウォーターランド派メノナイトとの合併を考えていたスマイスが、ヘルウィスに対して具体的にどれだけの影響を与えたかは、教理史的議論の決着がなされていない。またパテキュラー・バプテスト派は、元英国国教会司祭であったヘンリー・ジェイコブ牧師により発足した非分離派会衆主義教会から、より分離派的教会を求めて離脱した者ら数十名が、再洗礼を行って教会を新設したことにはじまったとされる。
18世紀、英国のオックスフォード大学内でジョン・ウェスレー、ジョージ・ホウィットフィールドが指導するグループから始まった運動が、英国全土にメソジスト(方法論者)という名で広がるようになった。そして、この運動はアメリカに渡り第一次大覚醒に至ったが、独立戦争が始まる際に一部英国に帰国することとなった。1784年アメリカに残ったメソジスト宣教師らを監督教会として認める25箇条のメソジスト憲章が定められる。1845年、米国のパティキュラー・バプテスト派は、奴隷問題と国外伝道政策に関する見解の相違で北部バプテスト同盟(現在の米国バプテスト同盟)と南部バプテスト連盟とに分裂する。この頃、米国メソジスト教会にも同様の分裂が起こるが、やがて分裂は終結する。19世紀後期のアメリカのメソジスト系統からホーリネス派が起こり、これを基盤にペンテコステ派が起こる。さらにペンテコステ派によるペンテコステ運動は他教派におよび、聖霊派として知られている。また、カリスマ派はペンテコステ派から起こるが、WCCに加盟したことにより、エキュメニズムに反対するペンテコステ派から排斥される。聖霊派は聖霊体験を強く主張し、一部の聖霊派は他教団から異端視された事があったが、それらは強力な聖霊体験を絶対視する教理や、牧師が圧倒的にカリスマ的に成りすぎる傾向からあると言われている。ホーリネス教団の韓国ホーリネス教団は異端視される傾向にある。(しかし、2004年に韓国キリスト教連合会は異端指定の撤回を発表した[要出典]。)
同じく18世紀、アメリカで再臨運動が起こり、この運動に参加する信徒は再臨派(アドベンチスト派)と呼ばれた。
19世紀に入り再臨運動がさらに活発化すると幾つもの再臨派系教派がここから分裂、組織化した。その中でもエレン.G.ホワイトらが活発に活動し、日曜ではなく、イエスが当時守っていた日が土曜日であった事実と、旧約律法通りでもある土曜を礼拝日とするSDA(セブンスデー・アドベンチスト教会)が出現した。(しかしセブンスデー・バプティスト派が歴史が長い。教団は彼らから教理を得たとされる)[3]
フリードリヒ・シュライエルマッハーから始まる近代神学、自由主義神学、聖書高等批評学のプロテスタント教会への浸透に対抗して、英国の福音主義同盟は1846年、9ヶ条からなる福音主義信仰の基準を告白した。また20世紀初頭に英米においてキリスト教根本主義運動が起こった。20世紀半ばの1948年に自由主義プロテスタントとローマ・カトリックを中心としたエキュメニカル運動の組織世界教会協議会が成立したが、それに対して福音主義同盟を創立会員として1951年に世界福音同盟が結成された。第二次大戦後に台頭した福音派はエキュメニカル運動に対し、1974年、ローザンヌ世界伝道会議を開催し、ローザンヌ誓約が発表された。また福音派は新福音主義とも呼ばれ、福音伝道と宗教改革の福音主義を強調する。福音派は個人の伝道活動の実践、ビリー・グラハムの大規模な伝道活動などにより教勢を拡大し、学的にもウェストミンスター神学校、フラー神学大学、ホィートン・カレッジ、クリスチャニティ・トゥディなどにより大きな影響力を与えるようになった[4][5][6]。
1990年代より一部の教派が提唱するセカンドチャンス論というものがある。生前キリストを信じなかった者、知らなかった者は死後すぐに地獄や天国に行かず、黄泉(よみ、陰府)に行き、そこで猶予および救いのセカンドチャンス(福音を信じる機会)を与えられるというもので、これは新普遍救済主義とも通じると考えられ、解釈の違いは賛否両論を呼んでいる[7]。しかしこの教義は、未信者(生涯中で一度もキリスト教に接する機会の無かった者)は死後自動的に地獄に行くとの教えは誤訳であること、また裁きは神に主権があることを示し、間違った理解を正す目的でなされたものであるが、キリスト教内外の一部で誤解されている。
プロテスタンティズムと近代社会
社会学などで研究、議論の対象となるヨーロッパの近代化は、プロテスタントによって担われたものだとする説がある。
その最も有名な説はマックス・ヴェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に展開されたもので、清教徒など一部のプロテスタントが労働者としては合理的に効率性、生産性向上を追求する傾向を持っていたことを指摘している。ヴェーバーによれば、プロテスタントの教義上、現世における成功は神の加護の証であるということになり、プロテスタントは与えられた仕事を天職のように考えてそれに打ち込むことで自分が神に救われる者のひとりである証を確認しようとしたという心理があるという。[8]
また、ダニエル・ベルは『資本主義の文化矛盾』で、このような合理主義の精神が、芸術におけるモダニズムの運動と共に、近代社会のあり方を規定した主要因であったとする。また、1960年代以降、消費社会と結びついたモダニズムの影響力が拡大し、プロテスタンティズムに由来する近代の合理主義を脅かしているとも診断する。
プロテスタントと近代の関わりについてはもうひとつ、異なる側面を扱った説があり、やはり広く知られている。教会に赴いて他の教徒と一緒に説教を聞いたり、賛美歌を歌うことによって信仰を実践していたカトリックに対して、プロテスタントは当初、個々人が聖書を読むことを重視した。集団で行う儀式に比べて読書は個人中心の行動であるため、一部の論者はこれを近代社会に特有な個人主義と結び付けて考える。
教理と教派
プロテスタントの教義は教派によって異なり多様な展開をみせている。以下ではそれを対照表によって示す。
理解を助けるため、プロテスタント以外の教派からカトリックと正教会(文中では「正教会」)、またプロテスタントを自称しない聖公会にも言及する。
- 基本教理
- 三位一体論(父、子、聖霊からなる3位格にして唯一の神という教理)
- 聖書論(唯一絶対の神に霊感されて人間が書いたという教理)
- 天国論(イエス・キリストと天国において永遠に住むと言う終末論などの教理)
- 信じる主な教派
- 上を含む1187のプロテスタント系教派
- 信じない主な教派(上記教理のうち一部のみの否定も含む)これらの教団は、他の伝統的な教派からはキリスト教の条件から外れているとみなされており、プロテスタントに由来するキリスト教系の新宗教あるいは異端と呼ぶのが適切かもしれない(中には、キリスト教の範疇にすら入らない異教と呼ばれるものもある)。
- 等
- 十戒の解釈の差
- 出エジプト20:1-17を区分し一般教会において使う
- 長老派、メソディスト、パブティスト、セブンスデーアドベンチスト、救世軍、神の聖会、キリスト教会、聖公会、正教会
- 十戒うち第2項目を削除し、第10項目を2つに分けた宗派(ルター派以外のプロテスタント諸派ではそう理解されている)
- カトリック、ルター派
- 出エジプト20:1-17を区分し一般教会において使う
- 洗礼、バプテスマの解釈
- 土曜日の安息日を主張する教派
- セブンスデー・バプティスト派、セブンスデー・アドベンチスト派、など他191教団
- 地獄不在説を主張する宗派
- セブンスデーアドベンチスト、エホバの証人、聖公会の一部。
- カルヴァン主義(予定論)とアルミニウス主義(自由な恵みを主張)
- 一時期自分は救われる計画が予定されていた人間であったかどうかが、個人の自殺までに追い込んだ深刻な事態がイギリスで起こったが、これは予定論の誤解によって起こった問題である。カルヴァン主義の予定論は、神が予定しなかった者は誰もキリストへの信仰を持つことができないと主張する。対してアルミニウス主義は、人がキリストを信じることは人の自由意志に委ねられており、それを意志によって働かせねば生じない業による。(ヨハネ6:29神の業はその遣わし…者を信ずる是なり。)神の予定によるのではないと主張する(しかし神は予知によって誰が信仰を持つかを知っているとする)。両者の相違は、人がキリストへの信仰を持つ根拠を巡るものであるが、信じることによって救われる(信仰のみ「sola fide」?)という点では基本的に両者は一致している。今日、各教団においてこの思想が2つに分かれている。(自由意志論は、神に従順なのは(善き業つまり伝道奉仕があるのは)信仰が純粋な事の証拠との理解もある。エホバの証人など。しかしあくまで救いは信仰の結果なので業で獲得できるものではないとされる。古代ユダヤ人の例がある。ロマ書10:3、己の義を立てんとして…服(したが)はざればなり。)
- 注意:上記で挙げられているモルモン教とエホバの証人は、世界基督教統一神霊協会と共に、「キリスト教系の新宗教」に属する。正教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタント諸教会からはキリスト教としては認められていない。エホバの証人は、自らキリスト教世界に属していないと表明している。故にカトリックにもプロテスタントにも属さないという。モルモン教が異端視されている理由は、モルモン教が聖書と併用としてモルモン教典を使用し、信仰の基礎としているからである。統一教会はモルモン教同様に原理構論と呼ばれる教典を聖書以上に重要視して使用している事、キリストの磔刑による死は「救済の失敗故の死」としている点、教祖の文鮮明を再臨のキリストとしている点等が挙げられる。エホバの証人については教典自体は聖書のみが正典と規定しているものの、三位一体の否定、部分的に独自の聖書翻訳が見られるという意見があること(新世界訳)、復活とパラダイスの解釈(生前キリスト教を知らなかった者は、大群衆とともに[黙示7:9]地上のパラダイスに復活させられ、[チャンスが与えられ](肉体の復活)。生前真のクリスチャンだった者は14万4千人の場合天に行くという。)に大きな違いがあることなどが挙げられる。また、セブンスデー・アドベンチスト教団に関しては、現在韓国において異端視する向きがある反面、他国では同じキリスト教の一派として認める教派もあり、各国のキリスト教連合会において多少の意見の差がある。
諸教派
- ルーテル教会(ルター派 「ルーテル」はルターの古ドイツ語読み)
- 北欧ルーテル派
- アメリカルーテル派
- ルーテル教会ミズーリ・シノッド (W:Lutheran Church - Missouri Synod)
- 日本福音ルーテル教会 (Japan Evangelical Lutheran Church)[1]
- 日本ルーテル教団 (W:Japan Lutheran Church)
- ルーテル世界連盟
- (W:Lestadians)
- 改革派教会 (W:Reformed churches)
- 根本的宗教改革(宗教改革急進派) (W:Radical Reformation)
- 英国国教会・聖公会[9]
- 米国聖公会
- メソジスト
- 救世軍
- ウェスレー派 (W:Wesleyan)
- メソジスト・プロテスタント (W:Methodist Protestant)
- アフリカ・メソジスト (W:African Methodist)
- ユナイテッド・メソジスト (W:United Methodist)
- メソジスト・エピスコパル (W:Methodist Episcopal)
- (W:A.M.E. Church)
- (W:A.U.M.P. Church)
- (W:U.A.M.E. Church)
- ホーリネス教会 (W:Holiness)
- イムマヌエル綜合伝道団 (Immanuel General Mission)
- ペンテコステ派 (W:Pentecostalism)
- (W:Assembly of God)
- 再臨派
- セブンスデー・アドベンチスト教会 (W:Seventh-day Adventist Church)
- アドベンティスト・キリスト教団
- その他の教派
- メシアニック・ジュダイズム
- クエーカー(キリスト友会)(別名 — aka Quakers)
- クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンス
- カベナント派
- 無教会主義
- 自由キリスト教(ユニテリアン、ユニヴァーサリスト、普及福音教会)
- 新教会(新エルサレム教会、スヴェーデンボリ派)
- エヴァンジェリカル・オーソドックス教会
- メトロポリタン・コミュニティー・チャーチ
脚注
- ^ ツヴィングリは自らはルーテル派プロテスタントから学んだのではないと言っていて、ルーテル派プロテスタントに抵抗がある。公同の教会。使徒信条を唱えている。アナバプティスト派は、ルターの時代に北ドイツにも居た。(ツヴィッカウの預言者たちなど、)ただカルヴァンの奥様がアナバプティスト派だった様でルターよりは理解があったものと思われる。改革派教会はルーテル派から拒絶されたためも一つあるかもしれない。
- ^ ツヴィングリ派は、改革派教会と言い、カルヴァン派は、特に長老派と言うのかも知れない。両派は混ざっているが。
- ^ セブンスデー教会とエホバの証人を同じ教理を持つ教団かの様な書き方が正確でありません。アドベンチスト派の再臨思想はホーリネス派から、霊魂条件不在説は再洗礼派からです。地獄否定説も聖公会からです。エホバの証人との再臨思想と地獄否定説とは由来が違います。ここの内容が正確でないため、削除願います。---セブンスデー・アドベンチスト大総会より--であるからチャールズ・テイズ・ラッセルは千年王国を聖書から学んだ。キリストの再臨が全ての者に認知される、実際に見ることなくして。(ヨハネ伝14:19世はもはやわたしを見ないでしょう。)理解することを英語でI SEEと言う。(永遠に生きるの本146頁13節)罪を犯す魂は死ぬ-エゼキエル18:4,20死とは命の反対である。(論じるの本183頁死の定義)。安息日に関しては、コロサイ2:16ユダヤ人から審(さば)かれている(文語訳)のでは?ユダヤ主義、愛慕では?ガラテヤ4:10安息日を守らねばならないとすればイザヤ66:23の新月は守らなくてよいでしょうか、ガラテヤ5:3は?十戒を守らねばならないとすれば、(十戒は、律法の根本なので、そこから他の律法、祭儀律法道義律法が導かれ、祭儀は道義と密接不可避の関係が有る。)律法全体を守らねばならない。同4:24,25は?モーセの律法は奴隷で、肉では無く霊によって導かれるべきでは?同5:16。ローマ14:22よし…自分を裁かない。
- ^ 宇田進『現代福音主義神学』いのちのことば社
- ^ マクグラス『キリスト教の将来』教文館
- ^ 古屋安雄『激動するアメリカ教会』ヨルダン社
- ^ 久保有政らが主張し、ウィリアム・ウッドらが反対している。19世紀も在ったと言って、人は現世で一回もチャンスを与えられなかったという説もある。
- ^ 神聖な職とは元々聖職者で代表されるものだったが、ルターやカルヴァンは職制について考え、神聖なものとみなした。世俗内禁欲。万民司祭主義。教会の世俗主義。平信徒に僧職者性が広まったとの批判も有る。故にカトリックよりも罪が重いかもしれないと言う。(御言葉が明らかな分だけ。ルカ12:48、「多く与えらるる者は、多く求められん…托(あづ)くれば、更に多くその人より請(こ)ひ求(もと)むべし」。)(カトリック思想史第4篇。外部リンク。)
- ^ 聖公会は本来プロテスタントとは自称しないが、西方教会における諸教派の一つとして挙げておく。
関連項目
外部リンク
- プロテスタント教理史
- キリスト教読み物サイト
- カトリック思想史第4篇 注釈(8)、参考までに。arz:بروتستانتيهMwl:Portestantismoszl:Protestantyzm
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 聖書 | プロテスタント
