二階堂氏についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)
| 二階堂氏 | |
|---|---|
三つ盛亀甲に花菱 | |
| 本姓 | 藤原南家為憲流 工藤氏流 |
| 家祖 | 二階堂行政 |
| 種別 | 武家 |
| 出身地 | 鎌倉永福寺周辺 |
| 主な根拠地 | 陸奥国岩瀬郡 |
| 支流、分家 | 薩摩二階堂氏(武家) |
| 凡例 / Category:日本の氏族 | |
二階堂氏(にかいどうし)は、武家の一氏族。特に陸奥国の岩瀬郡を支配し須賀川城を居城とした戦国大名が著名。
目次 |
概説
二階堂氏は藤原姓で、南家藤原武智麻呂の子孫を称している。工藤行政が文官として源頼朝に仕え、二階堂が存在した鎌倉の永福寺周辺に屋敷を構えたので二階堂氏を称したという。行政には行光と行村の二人の子がいた。二階堂氏の子孫は実務官僚として鎌倉幕府、室町幕府に仕え、その所領は日本全国に散在しており、多くの庶子家を輩出した。
須賀川二階堂氏
鎌倉時代の二階堂氏から須賀川二階堂氏へ至る詳しい系譜は明らかではない。
文安元年(1444年)頃、鎌倉から二階堂為氏が須賀川に下向し、命令に従わなくなった須賀川代官二階堂治部大輔を討ち、須賀川城に入ったという。この為氏が須賀川二階堂氏の初代当主ともいわれている。
天文11年(1542年)に勃発した天文の乱と呼ばれる伊達氏の内訌に端を発した大乱では、伊達稙宗の娘婿二階堂照行は稙宗方となっている。
永禄年間(1558年から1570年)になると、度々蘆名氏に攻められ、二階堂盛義は息子を人質として送り講和した。
盛義の死後当主となった二階堂行親は夭折し、その跡は盛義の未亡人であり、伊達政宗の伯母にあたる阿南の方(大乗院)が継いでいた。そのため政宗も幾度となく降伏を薦めたが、阿南の方はこれを頑強に拒否。天正17年(1589年)10月26日政宗に攻められて、須賀川城は落城した。阿南の方はその後政宗を嫌って甥の岩城常隆を頼り、常隆の死後は佐竹義宣の元に身を寄せた。佐竹氏が出羽に移封されると病のため須賀川に留まることになり、1602年に62歳で没したという。
薩摩二階堂氏
薩摩国の戦国時代の有力国人で後に島津氏家臣となった二階堂氏は、この一族の一部が鎌倉時代末期に所領の一部のあった薩摩国阿多郡(現鹿児島県南さつま市)に下向以後土着した流れで、後にこの系統から二階堂進を輩出している。
また、嫡流を称する田布施郷士の二階堂氏と分流の加治木郷士の二階堂氏は島津綱貴の側室を輩出した縁で城下士に転籍し、後に家老などの重役を輩出するようになっている。
二階堂氏当主
鎌倉時代
一族・主要家臣
工藤維遠 工藤維兼 工藤維行 工藤行遠 二階堂行政 二階堂行光 二階堂行盛 二階堂行泰 二階堂行頼 二階堂行継
- 二階堂行兼(?年 - 1333年) - 左衛門、筑前、評定衆、仕北条高時
- 二階堂行熈 - 二階堂三郎、左衛門
- 二階堂貞兼 - 二階堂五郎
- 二階堂行茂 - 二階堂七郎
二階堂行泰 二階堂行佐 二階堂行時 二階堂行憲
- 二階堂高憲 - 因幡三郎、左衛門行清、関東廂番
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二階堂行泰 二階堂行実 二階堂宗実 (二階堂貞宗甥) 二階堂光貞
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- 二階堂清春 - 下野、室町幕府鎌倉府政所執事(至徳元年(1384年)~康応元年(1389年))
- 二階堂行全 - 下総入道
- 二階堂氏盛 - 下総入道、室町幕府鎌倉府政所執事(応永3年(1396年)~応永11年(1404年)、応永14年(1407年)~応永23年(1416年))
二階堂行泰 二階堂行重 二階堂行元 二階堂時元
- 二階堂高元 - 左衛門行春?、下野判官?、入道行応?、関東廂番引付頭人?
- 二階堂行能? - 民部
- 二階堂行高 - 筑前
- 二階堂行遠 - 肥前
- 二階堂行旨 - 玄蕃
- 二階堂持行 - 下野
- 二階堂政行 - 左衛門
- 二階堂尚行 - 二階堂又三郎
- 二階堂政行 - 左衛門
- 二階堂持行 - 下野
- 二階堂行旨 - 玄蕃
- 二階堂行遠 - 肥前
- 二階堂行高 - 筑前
- 二階堂行能? - 民部
- 二階堂政元 - 二階堂三郎、左衛門、大蔵、室町幕府政所執事(文和2年(1352年))
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- 二階堂政忠 - 岩瀬、大蔵
- 二階堂宗元 - 常陸
二階堂行政 二階堂行光 二階堂行盛 二階堂行綱 二階堂頼綱 二階堂貞綱
- 二階堂行朝(?年 - 1353年) - 信濃左衛門行珍、室町幕府政所執事(建武2年(1335年)~暦応元年(1338年)、貞和5年(1349年))、方頭人引付寄人引付頭人、評定衆、内談衆、仕北条高時、足利直義、足利尊氏
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- 二階堂盛秀 - 信濃(正長1428年)、室町幕府鎌倉府政所執事(正長元年(1428年)~永享3年(1431年)、永享6年(1434年)~永享10年(1438年))
- 二階堂成行 - 左衛門、信濃?、仕足利成氏(長禄年間1457年 - 1461年頃)
- 二階堂政盛 - 左衛門、仕足利政氏
- 二階堂高盛 - 仕足利高基
- 二階堂信濃三郎 - 信濃三郎
二階堂行朝子? 二階堂顕行子?
- 二階堂行親(?年 - 1335年) - 左衛門(延元年間1336年 - 1339年頃)、仕北条高時、北畠顕家
- 二階堂行光 - 次郎
- 二階堂行永 - 遠江
- 二階堂行宗(?年 - 1446年) - 治部
- 二階堂義綱 - 駿河
- 二階堂行続(?年 - 1459年) - 刑部、三河、須賀川城主
- 二階堂行宗(?年 - 1446年) - 治部
- 二階堂行永 - 遠江
- 二階堂行光 - 次郎
二階堂行続嗣 二階堂為治子 二階堂行春子?、二階堂行秋孫?
- 二階堂為氏(?年 - 1464年) - 次郎、遠江、茂山樹英、須賀川城主
二階堂頼綱 二階堂景綱
- 二階堂光方
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- 二階堂為治 - 式部(応永1394年 - 1427年頃)
- 二階堂照重 - 修理(永禄1558年 - 1569年頃)
- 二階堂照綱 - 右京(永禄1558年 - 1569年頃)
- 二階堂行栄
- 二階堂続綱
- 須田盛秀
- 須田秀広
- 須田頼隆
- 矢田野義正
- 須田照秀
- 須田秀行
- 大久保資近
- 浜尾行泰
- 浜尾盛泰
- 浜尾宗泰
- 守屋重清
- 守屋俊重
- 矢田野行義
- 矢田野行政
- 矢田野行正
- 保土原行有
- 保土原行藤
- 保土原重行
- 遠藤盛胤
- 遠藤勝重
- 矢部義政
- 塩田政繁
系図
*数字は鎌倉幕府政所執事の世襲順、太字は評定衆 *ラージアルファベットは室町幕府政所執事の世襲順、スモールアルファベットは室町幕府鎌倉府政所執事の世襲順
藤原乙麻呂 : 工藤為憲 : 工藤行遠 ┃ 二階堂行政 ┏━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ∥ ┃ ┃ 伊賀朝光 行光1 行村 ┃ ┃ ┣━━┳━━━━┳━━┳━━┓ 伊賀光宗2 行盛3 基行 二階堂惟行 行義 行久 行方 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━┓ 二階堂行泰 行綱8 行忠10 二階堂行定 白河氏へ 行有 二階堂行清 二階堂行氏 二階堂行章 ┣━━━━━━━━━━━┳━━┓ ┣━━┓ ┣━━┳━━┓ ┃ ┣━━━┓ 二階堂行頼 二階堂行佐 二階堂行重 二階堂頼綱 盛綱 二階堂行宗 二階堂盛忠 二階堂宗光 二階堂行直 二階堂行藤 貞藤15 ┏━━━━━━━━━━━┫ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━━┓二階堂行実 二階堂行継 二階堂行時 二階堂行元 二階堂貞綱 二階堂時綱 行貞11,13 二階堂時盛 長井久秀 栗飯原清胤 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┣━━━┳━━┓二階堂宗実 二階堂行兼 二階堂行憲 二階堂時元 二階堂行朝 二階堂貞衡 二階堂行広 二階堂顕行 京極高氏I,L ┣━━┓ ┣━━┳━━┳━━┓ ┃ ┣━━┓ ┣━━┓ ┃二階堂光貞 貞宗 二階堂行朝 二階堂行熈 二階堂貞兼 二階堂行茂 二階堂高憲 二階堂高元 二階堂政元 二階堂行通 行親 行光 ┣━━┳━━┳━━┓ ┃ ┃? ┃ ┃二階堂高実 二階堂政宗 二階堂行豊 貞宗 行詮 二階堂行能 行光 二階堂忠広 ┃ ┃ ┃ 経賢 二階堂行高 二階堂行永 ┃ ┃ 二階堂行遠 二階堂行宗 ┃ ↓ 二階堂行旨 ┃ 二階堂持行 ┃ 二階堂政行 ┃ 二階堂尚行
室町時代・戦国時代
二階堂政藤 二階堂行秋 二階堂行宗 ┃ ┃ ┣━━━━━━┓ 二階堂家藤 二階堂為治 二階堂行春 二階堂行続 二階堂義綱 ┃ ┃ ┃ ┣━━━━┓ ┃ ┃ ┃? ∥ ┃ 二階堂持藤 二階堂為氏 矢田盛秀 ┃ ┃ 二階堂勝藤 二階堂行光 (戦国時代) ┃ ┃ 盛義 行詮 ┃ ┣━━━━━━━┓ 二階堂宗義-?晴行 二階堂行景 ┃ ┃ ┃伊達稙宗 二階堂統義 ┃ 二階堂行直 ┣━━━┓ ┃? ┣━━━━┓ ┃伊達晴宗 女子=照行(輝行) 二階堂行直 二階堂行秀 ┣━━━┓┗━┓ ┃伊達輝宗 女子=盛義-------------?行盛 ┃ ┣━━━┳━━┳━━┓伊達政宗 蘆名盛隆 行親 行栄 行久 ┃ 亀王丸
