東京国際空港についての最新情報、関連する画像や動画を紹介。(出典:Wikipedia)

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東京国際空港
Tokyo International Airport
IATA:HND-ICAO:RJTT
概要
国・地域 日本
設置場所東京都大田区
空港種別商業
運営者国土交通省
標高6.4 m・21 ft
位置北緯35度33分12秒 東経139度46分52秒 / 北緯35.55333度 東経139.78111度 / 35.55333; 139.78111
ウェブサイト
滑走路
方向ILS全長×全幅 (m)表面
16R/34LI3000×60舗装
16L/34RII3000×60舗装
04/22I2500×60舗装
リスト
国際空港の一覧日本の空港

東京国際空港(とうきょうこくさいくうこう、Tokyo International Airport)は、東京都大田区羽田空港にある空港法4条で法定されている空港である。

通称は「羽田空港(はねだくうこう)」であり、日本国内においても広く定着している。飛行機の搭乗案内では単に「羽田行」などと表示されることがある。この「羽田」は当空港周辺の旧町名に由来する。また、2010年1月現在、一部の国との間に国際線定期チャーター便が運航されており、事実上東京の国際線専用空港である成田国際空港との区別を明確にするために「東京(羽田)」と表記されることもある。

2010年10月頃、4本目の滑走路と新しい国際ターミナルの併用をそれぞれ開始する予定である。

目次

概要

1931年昭和6年)8月25日に「羽田飛行場」として開港以来、日本最大級かつ東京を代表する空港である。

2010年1月現在、国内線主体でありながら利用者数は世界でも有数の規模を有する[1]。当空港は、日本航空全日本空輸スカイマークハブ空港である。

年間の航空機発着回数は約28万5000回[2]航空旅客数は約6673万人[3](一日あたり約18.2万人)でそれぞれ国内最大(2位はいずれも成田国際空港)。航空貨物取扱量は約84.9万トン[3]で国内第2位(一日あたり約2320トン)。

滑走路は以下の3本。A滑走路とC滑走路は平行滑走路のオープンパラレル配置で、同時離着陸が可能である。

  • A滑走路 (16R/34L): 3000 m×60 m、34L側にILS設置
  • B滑走路 (04/22): 2500 m×60 m、横風用、22側にILS設置
  • C滑走路 (16L/34R): 3000 m×60 m、34R側にILS設置

発着する便のほとんどが国内線[4]であるが、皇族内閣総理大臣などが政府専用機を使用する場合や、国賓公賓が専用機や特別機で訪日する際は、ほとんどの場合羽田を使用する[5]。これは、羽田空港の方が成田空港より都心に近く、沿道の警備が容易なためである。このため、専用施設としてVIP機専用スポット (V1・V2) や旅客ターミナルビルとは別棟の中に設けられた貴賓室がある。

日本では、数少ない24時間運用が可能な空港の1つ[6]である。深夜から未明の時間帯にかけては国際線チャーター便や貨物便[7]が発着するのみとなっている。国内線の各旅客ターミナルビルの開館時間は、定期便の運航時間帯に合わせ、第1旅客ターミナル・第2旅客ターミナルとも5:00〜24:00頃となっている[3]

空港の設置及び空港機能の管理・運用は、国土交通省東京航空局東京空港事務所が行い、各ターミナルビルの管理・運用は日本空港ビルデング株式会社が行っている。なお、2010年開業予定の(新)国際線ターミナルビルについては東京国際空港ターミナル(TIAT=ティアット=)株式会社によって建設され、日本空港ビルデングがTIATへ運営委託させることになっている。

羽田空港は東京23区内にあり利便性が高い反面、騒音問題・増便規制・小型機の乗り入れ禁止などのいわゆる羽田空港発着枠問題といった、緊急に解決が必要な問題が存在する(航空法上の混雑空港にあたる)。これらの問題を解決するため現在沖合展開事業再拡張事業横田空域の調整が行われている。空港騒音に関しては羽田空港一帯(羽田空港一丁目〜羽田空港三丁目、これらに接する地先及び水面)のみ騒音規制法(昭和43年法律第98号)第3条第1項の規定に基づき大田区長が指定する地域から除外されている。

歴史

開港

開港する前の旧地名は東京府羽田江戸見町(鈴木新田字江戸見崎)、羽田穴守町、羽田鈴木町(鈴木新田字宮ノ下・辰巳ノ方・巽ノ方・明神崎・鈴納耕地・堤外東南)、羽田御台場、鈴木御台場(鈴木新田字御台場・御台場耕地・辰巳島)、猟師町御台場(羽田猟師町)であった。

また大正時代には羽田運動場が羽田飛行場の近隣に存在したが、後に空港の拡張に伴い、運動場用地が買収されている。

羽田飛行場のエプロンと滑走路(1933年)
羽田飛行場のエプロンと滑走路(1933年)

1931年昭和6年)8月25日、東京府荏原郡羽田町鈴木新田字江戸見崎(旧旅客ターミナル地区付近 翌年に東京府東京市蒲田区羽田江戸見町となる)に日本初の国営(逓信省管轄)民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として開港した。日本の民間航空黎明期における重要な飛行場であった(面積53haに全長300m、幅15m滑走路1本)。

ハブ空港

1933年には、当時「空の都」として名高かった北多摩郡立川町砂川村立川飛行場の民間航空部門が移駐してきた。この頃には日本航空輸送満州航空ハブ空港となり、大阪福岡台北京城などの国内主要都市に向けた国内線のみならず、満州国中華民国タイ王国フランス領インドシナへ向けた国際線の運航も活発化し、これに併せてターミナルやハンガー、各種航法設備などの充実が行われたた。

また、1930年代後半に同盟関係を結び、その後第二次世界大戦では枢軸国同士として一緒に戦うこととなったドイツとの直行便の就航も計画されたが、その後の国際情勢の悪化のためにこれは実現されなかった。しかし大日本航空が就航していたタイのバンコクで、ヨーロッパ各都市へ向かうイギリスインペリアル航空などの国際線と接続することとなった。

戦時下

画像:Haneda Airfield 1937.jpg
羽田飛行場のターミナル周辺(1937年)

国内外の民間航空の発展に伴い、北東アジアにおけるハブ空港としての発展が期待されたものの、その後1937年日中戦争がはじまり、1941年12月に日本がイギリスやアメリカオランダなどとの連合国との間に開戦すると民間航空は事実上停止し、軍用飛行場として使用されることとなった。

これ以降終戦までの間は、国内線の他に香港ジャカルタマニラシンガポールなど、これまで欧米諸国の植民地であったが、その後日本軍が占領した東南アジア各都市へ向けて、陸軍特務航空輸送部が定期便を就航させることとなった(大日本航空が委託運航していた)。なお、第二次世界大戦末期には日本本土を空襲する連合国軍の航空機の爆撃目標となったため、空港内外に対空砲などが置かれた。

連合国管理下

現在、西側の環八通りからの入口脇に置かれている大鳥居
現在、西側の環八通りからの入口脇に置かれている大鳥居
日本航空のマーチン2-0-2と客室乗務員(1952年)
日本航空のマーチン2-0-2と客室乗務員(1952年)
英国海外航空のコメットMk.I
英国海外航空のコメットMk.I

1945年8月の第二次世界大戦終戦後は、日本を占領した連合国軍の1国であるアメリカ軍の管理下に置かれ、ハネダ・アーミー・エアベース(羽田陸軍航空隊基地)と呼ばれることとなった。同年9月21日には同空港を首都圏における主要基地の一つとして用いるため拡張を計画したアメリカ軍が警察を通じて周辺住人に48時間以内の強制退去を命じた[8][9][10][11]。拡張地区内にあった既存の建造物が軒並み撤去される中、穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)の大鳥居だけが更地にぽつんと残されて話題となった[12]

なお連合国の占領下の日本においては、民間航空を含むすべての日本籍の航空機による活動が禁止されていたため、当時はアメリカやイギリス、フランスなどの連合国の軍用機やパンアメリカン航空ノースウエスト航空英国海外航空などの連合国の航空会社の乗り入れのみに使用されていた。

その後サンフランシスコ講和条約が締結され、連合国による日本占領が終結に近づいた1951年10月25日には、日本籍の航空機による活動が解禁されたことを受けて、第二次世界大戦後初の国内民間航空定期便として日本航空のマーチン2-0-2型機「もく星号」が、羽田空港 - 伊丹空港(大阪) - 板付空港(福岡)間の定期旅客運航を開始した。なお日本のフラッグ・キャリアとなった日本航空は、その後現在に至るまで羽田空港をハブ空港として使用することとなる。

返還以後(東京国際空港)

1952年7月には地上施設の大部分がアメリカ軍から返還され、現名称の「東京国際空港」に改名。また同月には世界初のジェット旅客機であるデ・ハビランド DH.106 コメットMk.Iが英国海外航空によって初飛来し、その後ロンドンヒースロー国際空港との間に定期就航した。

1953年には日本航空のダグラスDC-6によって、日本の航空会社による第二次世界大戦後初の国際線定期路線の就航が開始された。この頃から日本の経済状況が回復してきたこともあり、国内線の乗客が急増したみならず、スカンジナビア航空スイス航空カナダ太平洋航空カンタス航空などが就航するなど外国航空会社の就航開始が相次ぎ、国際線の旅客も急増したことを受け、全面返還に先立つ1955年には近代的な設備を持つ新しい旅客ターミナルが完成し、その後1958年に全面返還された。

混雑

その後1960年代に入ると、日本航空や外国航空会社によりダグラスDC-8ボーイング707コンベア880などの大型ジェット旅客機が次々と就航し、日本の空の玄関口、首都の空港として国際線、国内線ともに発着回数が増え、1964年に行われた東京オリンピックの時など数度にわたり旅客ターミナルが増改築された他、貨物施設の拡充も行われた。

しかし、同年に一般旅行者の海外旅行自由化が行われたことや、地方路線の機材大型化やジェット化が進んだなどもあり、高度経済成長期真っただ中の1960年代後半には、増大する一方の離着陸をさばくのが困難になり、A滑走路の使用を停止して駐機スポットにするなどの策も講じたが、それでも対応が難しくなった。また、旅客ターミナルの混雑や貨物ターミナルの処理能力も限界に達し、抜本的な解決を望む声が多くなった。

成田空港完成

日本航空のボーイング747
日本航空のボーイング747

当時の港湾土木技術では沖合移転に必要な埋め立て工事には多大な困難が予想されたこともあり、当時の運輸省は首都圏第二空港の開設を決定、1966年千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設が始まる。

1970年には、パンアメリカン航空と日本航空が相次いで当時の主力機材であったDC-8ボーイング707の倍以上の座席数を持つボーイング747型機を就航させ、ノースウエスト航空英国海外航空エールフランス航空などの他の乗り入れ航空会社もその後を追う。

その上、1970年代中盤には国内線のみを運航する全日本空輸東亜国内航空ロッキード L-1011 トライスターエアバスA300などのワイドボディ機の就航を開始したことから、国際線のみならず国内線ターミナル、貨物ターミナルの処理能力も限界に達してしまう。

そして1978年5月20日に成田空港が開港すると、外交的問題から成田空港への移転を行わなかった中華民国のチャイナエアラインを除く全ての国際線が移転した。なお、その後1990年代に就航開始した中華民国のエバー航空も羽田空港を利用することとなった。詳細は「国際線の就航状況」の節を参照のこと。

沖合展開事業の進展

上空からの俯瞰(解説付き画像)
上空からの俯瞰(解説付き画像

かつてのターミナルは現在地より陸地側、今のB滑走路の南端付近にあり、3本の滑走路もそれを囲むように北側に04/22が東側に15R/33Lと15L/33Rのクロースパラレルが配置されていたが、1964年海外旅行自由化以降は航空機の利用客が急増し、便数も増加できない上に国際線・国内線が同居する状態では発着する飛行機の数をさばききれなくなり、空域では航空機同士が急接近することが常にあった。このため、1970年代にはターミナル寄りの旧A滑走路 (15R / 33L) を事実上閉鎖して駐機場を拡張した。

新設された新東京国際空港に国際線が移転した後も、国内線の需要の急激な増加が続いたため、手狭なターミナルと2本の滑走路では、首都空港としてのキャパシティは既に限界を超えていた。滑走路は現在よりも市街地に近かったため、騒音に対する苦情も絶えなかった。これら空港機能の改善及び騒音対策を目的として1984年1月から東方の海面を埋め立てて空港施設を移設・拡張するという沖合展開事業(通称: 沖展)が行われた。

沖展に不可欠な埋め立て工事は、脆弱な海底地盤により難航した。沖展用地は東京港の浚渫土や首都圏の建設残土を処分する残土処理場であり、長年のヘドロが堆積した「底なし沼状態」であったことから、重機はおろか人間も立ち入れない場所が多かった。チューブの集合体の板を地中深く差し込むことで水を抜くペーパードレーン工法や、沈下する地盤をジャッキ油圧で持ち上げ空洞を特殊なコンクリートで固める工法などを駆使し、計画から完成まで約20年の歳月を経て完成した[13]

この埋め立てによって新たに生まれた土地は広大なもので、これがすべて大田区に組み込まれたことから、世田谷区は長年保っていた「東京23区で面積最大」という地位を大田区に譲ることになった。

第1ターミナルビル
第1ターミナルビル

1993年9月には、約29万平方メートルの延べ床面積に、24基のボーディングブリッジを持つ新国内線ターミナルビル(第1ターミナルビル)が完成し、チャイナエアラインを除くすべての航空会社が移転した[14]。同ターミナルを運営する日本空港ビルデングはこれにビッグバード (Big Bird) という愛称をつけたが、今日ではこれが羽田空港旅客ターミナルの総称としても用いられている。

2004年12月1日には、約18万平方メートルの延べ床面積に、15基のボーディングブリッジを持つ第2旅客ターミナルビルが供用を開始した[15]。全日本空輸 (ANA) グループおよびANAグループと業務提携している北海道国際航空 (ADO) の国内線業務が同ターミナルに移転した。12月21日には第1旅客ターミナルビルに残っていた日本航空 (JAL) グループが、従来使用していた同ターミナル南ウイングに加え、ANAグループなどが使用していた北ウイングの使用を開始。その後2006年4月1日より、ANAグループと業務提携しているスカイネットアジア航空 (SNA) も第2旅客ターミナルに移転し、現在は、

のそれぞれ専用ターミナルとなっている。ただしANA便名でもSFJ運航のコードシェア便である北九州線は第1旅客ターミナルから出発・到着する。

各ターミナルのシンボルカラーも、第1ターミナルはJALグループのコーポレートカラーである赤色、第2ターミナルはANAグループのコーポレートカラーである青色となっている。JALグループでは広い第1ターミナルを活かし、国内線方面別チェックインを行っている。就航路線を参照されたい。

第2旅客ターミナルビル供用に関連して、2005年4月1日より東京国際空港を発着する便の航空券に旅客施設使用料として100円が上乗せされている。使用料の導入に関しては、国内線ハブとしての優越的地位の利用との非難も相次いだ。国内線を対象とした旅客施設使用料の徴収は日本で初めてであった[16]

なおこの事業は3期に分かれ、第2旅客ターミナルビル南ウィング(仮称)が完成した時点で終了する予定である。

  • 第1期(1984年1月 - 1988年3月)
    • A滑走路移転・拡張(1988年7月供用開始)
  • 第2期(1987年9月 - 1993年8月)
  • 第3期(1990年5月 - )
    • C滑走路移転・拡張
      1996年空の日には空港イベントの一環として供用前のC滑走路が一般公開された。
      1997年3月供用開始。これ以降、2本の平行滑走路による同時離着陸が可能になった(それまでの平行滑走路でも同時に離陸と着陸を行うことは可能であった)。
    • 国際線旅客ターミナル移転(1998年3月20日供用開始)
    • 京急空港線羽田空港駅まで延伸(1998年11月開通)
    • B滑走路移転・拡張(2000年3月供用開始)
    • 第2旅客ターミナルビル(2004年12月1日供用開始)
    • 東京モノレール、羽田空港第2ビル駅まで延伸(2004年12月1日開業)
    • 空港連絡道路(2004年12月1日午前4時供用開始)
    • 第1旅客ターミナルビル北ウイングJALグループ利用拡張(2004年12月21日開始)
    • 第2旅客ターミナルビル南ピア(2007年2月15日供用開始。66 - 70番スポット)
    • 第2旅客ターミナルビル南ピア71 - 73番スポット(再拡張事業完了後に整備予定)
    • 第2旅客ターミナルビル南ウィング(仮称)(再拡張事業完了後に整備予定)
    • 第2旅客ターミナルビル第4駐車場 (P4) 立体化(再拡張事業完了後に整備予定)

国際チャーター便就航

国際線ターミナルと国内線ターミナル間を結ぶ無料シャトルバス
国際線ターミナルと国内線ターミナル間を結ぶ無料シャトルバス

第2旅客ターミナルビルの供用開始に先駆け、1998年3月20日には新国際線旅客ターミナルビルが完成した。2002年には早朝深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運航が始まる。4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアラインとエバー航空は成田空港発着となる。

これに伴い、浮いた発着枠が活用されたのが同年開催された2002年サッカーワールドカップ日韓大会開催に伴う日韓間の航路であった。

韓国の首都・ソウルにおいては、ソウル市内にある金浦空港に代わって2001年に国際線空港として新たに仁川国際空港が開港し、金浦空港に発着する国際線は全て同空港に移転し、金浦空港は事実上国内線専用空港となった。

この仁川空港は、国際的には行き先こそ「ソウル」と案内されているが、実際にはソウル市内ではなく仁川市内に存在する上、ソウル市内とのアクセスが遠く不便であるなど、これらの点においては日本の羽田空港と成田空港との関係によく似た状況にあった。そこで、このワールドカップ開催期間中及びその前後に、日韓両国の首都かつその中心部から程近い場所に位置する羽田空港と金浦空港を結ぶチャーター便を開設させた。このチャーター便が好評を博したため、翌2003年からは「定期チャーター便」という定期便に限りなく近い方式で同ルートが開設され現在に至る。

さらに、2007年には同じく定期チャーター便方式で、羽田と中華人民共和国の上海虹橋国際空港の間に、2008年には香港国際空港との間に、2009年には北京首都国際空港との間に航路が開設されている。

再拡張事業

再拡張事業の全体図
再拡張事業の全体図

近年の航空需要の増大から、特に羽田空港においては、ラッシュ時は2分間隔で発着が行われるなど、発着能力が限界に達しており、増便は困難な状況になっている。限られた発着枠でできるだけ輸送量を大きくするため、羽田空港では日本の空港としては現在唯一小型機の乗り入れが禁止されており、その結果、特に地方空港の利便性が低下し不満が高まっていた。航空需要の増加に早急に対応するため、羽田空港の再拡張や、首都圏に羽田・成田に次ぐ第3の空港を設置する案が検討されたが、検討の結果、2000年9月に政府は第3空港の設置より優位性のある羽田空港の再拡張を優先的に行うことを決定し、以下の事業が進行中である。

B滑走路新誘導路

主として南風時に使用されているB滑走路で、着陸した航空機が速やかに滑走路から退避するための高速脱出誘導路とそれに接続する誘導路を現在建設中である(2009年7月供用開始予定)。高速脱出誘導路とは発着回数を増加させ空港処理能力を向上させるために、航空機を高速のまま滑走路から平行誘導路へ導く施設で、滑走路と斜めに配置する。現在、羽田空港の場合、出発機は1時間あたり32機、到着機は同じく28機と到着機の方が少ないが、滑走路から早めに脱出する事で到着機を1時間あたり29機へ増やすことが可能とされ、これにより1日あたり14便までの増枠ができると見込まれている。この工事と並行してA・B平行誘導路を結ぶ誘導路を新設する予定である。

新滑走路(D滑走路)と新管制塔

建設中のD滑走路(桟橋部)
建設中のD滑走路(桟橋部)

神奈川県寄りの多摩川河口付近の海上に、従来の埋め立てとジャケット工法による桟橋[17]を組み合わせた、世界初の人工島桟橋のハイブリッド滑走路として、既存のB滑走路とほぼ平行に全長2,500m幅60mの新滑走路の建設が進んでいる。なお、このD滑走路の設計耐久年数は、100年を想定[18]している。

設計・施工・運用にあたって制約条件がいくつかあり、対策が行われている。

  • 多摩川の流れを遮らないこと。→南側1100mおよび現空港との連絡誘導路を桟橋形式にして川の流れをせき止めないようにしている。
  • 既存の滑走路の離着陸を妨害しないように工事をすること。→進入コース直下での大型クレーンによる施工など制限表面に抵触する作業は空港運用時間外の夜間に行っている。また、高さを低く改造した作業船も用いている。
  • 東京港に入出港するタンカー、貨物船などの安全な航行を妨害しないようにすること。→空港東側にある東京港第一航路を一部移設する。また、工事期間中は東京航行安全情報センターを設けて一般船舶が工事区域に侵入しないように警戒その他の業務を行っている。

この滑走路の整備により、空港の処理能力である「年間発着能力」は29.6万回から40.7万回まで引き上げられ、国内線については発着枠の増加により現在より小型の飛行機を用いた多頻度運航化が可能となる。国際線については、国土交通省は将来の国内航空需要に対応した発着枠を確保した後の余裕枠を活用して年間6万回程度(短距離便と中・長距離便がそれぞれ3万回、1日約80便)の就航が可能になるという見解を示している。おおむね就航可能な国際定期便については、短距離便で北京ソウル釜山上海大連など。中・長距離便で北米や欧州、東南アジアなどの主要都市。当初は羽田発着国内線最長距離の石垣空港間1947km(1228マイル)以内の区間を目安としていたが、2008年4月1日には香港線(現在は日本航空と全日空が運航)が開設されて既にこの目安を超えていた。

羽田空港沖は江戸前マアナゴなどで有名な漁場である。滑走路の建設工事の影響により漁獲量減少が懸念されるとして、地元漁協と国交省の漁業補償交渉が難航した。当初、同省は閣議決定されていた2009年末の供用開始に向け、2006年春頃の着工を目指していたが、結果的に目標は達成できなかった。工事は2007年3月31日に開始され、5月20日に関係者による着工記念式典が行われた。同省は、当初の計画に間に合わせるために工期短縮の方法などを模索したが、2010年10月完成・供用開始を予定している。

このD滑走路の設置計画当初は既存のB滑走路と完全に平行な滑走路の建設を予定していたが、南風・雨天時に千葉県浦安市街地の上空を通過すること、また東京ディズニーリゾートと直線距離300mの沖合いを通過することが問題視され、滑走路の方位を7.5度変更した。この変更により川崎市にある東京湾アクアラインの換気塔が制限表面上に出るため、この換気塔は頂部の装飾を改修する。

左が新管制塔
左が新管制塔

D滑走路は旧来の管制塔からかなり離れており、旧管制塔から管制官が目視したとき、安全上規定されている視野角を部分的に確保することができない。また、新設される誘導路の一部が建物の陰に隠れてしまい、機体を目視で確認できない部分が生じてしまう。そこで新たに旧管制塔の南東側、第2駐車場に隣接する「バスプール」のエリアに世界で3番目・国内最高の高さとなる116mの新管制塔を建設し、2010年1月14日に運用を開始した。これにより、それまでの旧管制塔の飛行場管制室は供用開始からわずか10数年で役目を終えたことになるが、新管制塔供用開始後も撤去されずバックアップ用の予備管制塔となった。また、新管制塔で新設されるのは飛行場管制室とその付帯設備だけで、ターミナルレーダー管制室や航空局庁舎は現在の位置に残る。また発着能力増大に伴いグランドコントロールだけでは対処飽和になる可能性が出てくることから、グランドコントロールとは別にエプロン地区のみを管制する「ランプ・コントロール」導入が考えられており、仮に導入された場合、これまでの旧管制塔は成田国際空港の旧管制塔のように「ランプ・コントロール・タワー」として利用することも検討されている。

国際線地区

2010年10月を目処にA滑走路とB滑走路および環八通りに囲まれた区域に、新しい国際線旅客ターミナルビル・国際貨物ターミナル・エプロンなどを建設し、国際線地区としてPFI手法を用いて整備する予定である。

国際線旅客ターミナルビルは、5階建てのターミナルビルと6層7段の駐車場(約2300台収容)で構成される。ターミナルビルには、江戸の町並みを再現した商業ゾーンや国内最大級の規模の免税店を設置し収益を確保し、中部国際空港の2500円などより低い2000円の施設利用料を実現させる予定である。スポットは各々10ヶ所の固定スポットとオープンスポットが設置される。2008年4月8日に起工式が行われた。2010年7月末に完成、同年10月末に供用開始される予定[19]

ターミナルビルへのアクセスとして、東京モノレール羽田線は一部ルートを変更しビルに隣接する形での新駅建設を予定しており、京浜急行電鉄空港線羽田空港駅天空橋駅間のターミナルビル地下に新駅建設を予定している。ターミナルビルの整備・運営は国内線ターミナルビルを運営している日本空港ビルデングを筆頭株主とする特別目的会社東京国際空港ターミナル株式会社」(Tokyo International Airport Terminal Corporation, TIAT) がPFI方式で行う。

貨物ターミナルは、年間50万トンを処理する貨物上屋2棟・生鮮上屋・燻蒸施設などで構成される。ターミナルの整備・運営は三井物産を中心としたグループが行う。エプロン・周辺道路などの整備は大成建設を中心としたグループが行う。

また、2009年4月には、当時の政府・与党が長距離国際線への対応としてC滑走路を南東へ350m延長して3,350mにする方針を固め、追加経済対策に盛り込むと報道された[20][21]

神奈川口構想

詳細は「首都圏第3空港構想」を参照

神奈川県横浜市川崎市の1県2政令指定都市が共同で提案している、羽田空港の再拡張・国際化に合わせて多摩川にある首都高速湾岸線大師橋の間に空港に接続するまたは海底トンネルを建設し、川崎市側にも空港施設を設置するという構想である。国際線旅客ターミナルビルの出国手続き施設を建設する他、ホテル物流施設を併設し、経済的な地盤沈下が進む京浜臨海部再生の起爆剤になると考えられている。2004年から2006年にかけて、国土交通大臣、神奈川県知事、横浜市長、川崎市長を構成員とする「神奈川口構想に関する協議会」が4回会合を行い、神奈川県などからの提案について検討を進めた。この神奈川口構想に対しては、東京都大田区が強く反対しているが、アジア諸都市の国際ハブ空港競争激化の中にあって、日本の羽田空港がそれに勝ち抜くキーのひとつとしてあげられるのが、臨空関連施設やホテル他を擁する神奈川口構想の成立可否かもしれないとする新聞記事(朝日/asahi.com)[22]などもある。 (神奈川口の敷地予定地には現在約37ヘクタールもの広大な空き地が広がっている)

施設

  • 第2旅客ターミナル:延べ床面積約18万平方メートル、ボーディングブリッジ20基[25]
    • 航空会社カウンター、航空会社ラウンジ、郵便局、銀行、ATM(7か所)、外貨両替所、宝くじ売場、ホテル、手荷物ロッカー、手荷物一時保管、宅配便カウンター、クリニック、歯科、薬局、床屋、美容院、靴磨き、レストラン(和食、洋食、寿司屋、ファストフードなど)、カフェ、本屋、土産物屋、コンビニエンスストア、ビジネスセンター、屋外展望デッキ、レンタカーカウンター、リムジンバスチケット売り場、京浜急行駅、モノレール駅、バス乗り場、タクシー乗り場など[26]
  • 国際線ターミナル(暫定):延べ床面積約1万平方メートル、ボーディングブリッジ2基[27]
    • 航空会社カウンター、航空会社ラウンジ、ATM(2か所)、外貨両替所、手荷物ロッカー、手荷物一時保管、宅配便カウンター、レストラン、カフェ、土産物屋、リムジンバスチケット売り場、バス乗り場、タクシー乗り場など[28]
  • 第1、第2ターミナルの間は地下にある動く歩道で移動出来る他、無料連絡バスもある。国際線ターミナルと第1、第2ターミナルの間は、無料連絡バスで移動できる。

拠点がある機関

旧整備場地区に以下の事務所や格納庫がある:

就航路線

国内線

  • 航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便

第1旅客ターミナル

北ウィング
第1ターミナル
第1ターミナル
第1ターミナル出発カウンター(南ウイング)
第1ターミナル出発カウンター(南ウイング)
  1. 転送 Template:空港就航地

南ウィング
  1. 転送 Template:空港就航地

第2旅客ターミナル

第2ターミナル
第2ターミナル
第2ターミナル出発カウンター
第2ターミナル出発カウンター
  1. 転送 Template:空港就航地

貨物専用路線

  • 全日本空輸 (ANA)
    • 新千歳空港、関西国際空港、有明佐賀空港

休廃止路線

統計

(羽田空港発)就航路線別旅客数/順位
行き先旅客数国内線順位
新千歳空港約972万人上位1位
福岡空港約814万人上位2位
大阪国際空港約583万人上位3位
那覇空港約537万人上位4位
広島空港約232万人上位5位
鹿児島空港約225万人上位6位
阿蘇くまもと空港約188万人上位7位
小松空港約185万人上位8位
関西国際空港約170万人上位9位
長崎空港約149万人上位10位

以下省略。神戸・松山・宮崎・高松・大分・函館・北九州までの路線は、年間利用者数100万人を超える。 国土交通省 平成19年度航空運輸統計速報(平成20年6月26日)

国際線

  • すべて定期チャーター便である。
国際線ターミナル外観
国際線ターミナル外観

国際線ターミナル

  • 中国 北京首都国際空港
    • 日本航空 (JL)、全日本空輸 (NH)、中国国際航空 (CA)
      (全日本空輸と中国国際航空は相互にコードシェア)


国際線の就航状況

羽田空港には、1930年代から日本航空輸送満州航空の国際線が乗り入れており、戦後は日本の表玄関として世界各国からの国際線が乗り入れていた。しかし、そのままの設備では羽田空港が手狭となったため、羽田空港に代わる首都圏の新たな国際空港として千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田国際空港)が1978年に開業した。このため、中華民国(台湾)のチャイナエアライン(中華航空)以外の定期国際路線は全て成田空港に移り、成田空港開港後の羽田空港は事実上、国内線専用空港となった。

成田空港が開港しても、チャイナエアラインだけは成田空港には移転せず羽田空港発着となった。この理由は、1974年1月に日本と中華人民共和国中国共産党政府との間で締結された日中航空協定における予備交渉の席で、中国共産党政府代表団は日中間で航空路線が開設された後も、日本と中華民国との路線を維持することに異議を唱えない立場にあったが「中華民国の国旗(青天白日旗)を付けた中華航空機と同時に乗り入れる気持ちはない」と表明したため、1974年1月に日本側でまとめた外務・運輸両省案の中に「中国民航は成田国際空港を使用し、中華航空は羽田空港を使用する。なお、成田空港開港までは暫定的に羽田空港を双方が供用するようにするが、所要の時間帯調整を行う」と定められたためである。

ところが、中華民国政府はこの「外務・運輸両省案」に示された中華航空の社名と機上に描かれている旗に関する問題を「日華(日本と中華民国)の2国間のみの問題」と捉え、妥協しなかった。その結果、1974年4月20日を最後にチャイナエアラインによる日本乗り入れが中断されたが、翌1975年7月1日参議院における外務委員会において、宮沢喜一外務大臣が中華民国側の主張に沿った答弁を認める措置を採り、同年8月10日に再開された。しかし、尾翼に描かれていた中華民国の国旗である青天白日旗を塗り潰さなければならないという異常な措置を取ることを余儀なくされた。

羽田空港は都心に近く空港アクセスが良い上、空港旅客サービス料が無料であるほか、国内線との接続が良いなどのプラス面を享受することとなったチャイナエアラインの台北経由便を利用し、アジア各国やホノルルへ行く利用者が増加し、同社はこの恩恵を以後四半世紀にわたり享受することなる。1989年には中華民国の新規参入航空会社であるエバー航空も羽田空港発着で乗り入れを開始した。2002年には早朝・深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運航が始まったものの、同年4月18日に成田空港のB滑走路が暫定供用を開始したことに伴い、チャイナエアラインとエバー航空は成田空港発着となった。

日韓共催ワールドカップの翌年にあたる2003年からは、韓国金浦空港との間に、毎日運航され個人旅客による航空券の購入が可能な、定期便に限りなく近い「定期チャーター便」が開設された。その後、同じく「定期チャーター便」方式で中華人民共和国の上海虹橋国際空港2007年)、香港国際空港2008年)、北京首都国際空港2009年)との航路が開設された。なお、上海虹橋空港は、大半の国際線が発着する上海浦東国際空港より上海の中心地から近い場所に位置している。今後は、大連大連周水子国際空港との間に航路を開設することが計画されており、同国東北部において特に経済発展が著しい大連と東京都心から近くて便利な羽田空港を結び、片道約2時間30分の「日中日帰りビジネス」の構築を目指している。

再拡張事業でD滑走路が完成すると、羽田空港の発着枠は大幅に増加することになるが、増加分の一部は同様の形式で近距離国際線向けとする方針である。これに対し、横浜市ASEAN地域を含む6000キロ以内を含めるよう主張している。

国土交通省2008年5月19日、再拡張事業により2010年にD滑走路が完成すると、羽田の発着枠が大幅に増加することに伴い、深夜早朝時間帯に限り国際線の中距離・長距離便の就航を自由化する方針を固めた。また20日の経済財政諮問会議で当時の国土交通大臣である冬柴鐵三は「6時台及び22時台に羽田からの国際線の就航を可能とし、欧米を始めとした世界の主要都市への国際旅客定期便の就航を実現したいと考えている」と表明した。

国土交通省は、再拡張事業完成による発着枠増加分11万回のうち、昼間における3万回を近距離国際定期便に割り振ることを決めている。同省は、周囲の騒音問題等で成田空港が運用できない午後11時から午前6時まで(リレー時間帯を含める場合は午後10時から午前7時まで)の深夜・早朝には通常の発着枠とは別途、距離に制限が無い3万回が割り当てられ、国際線枠6万回とすることにより成田空港を補完する活用が可能であると判断している。[34]

国土交通省は2008年7月以降、羽田拡張後の国際線就航につて各国航空当局との間で協議・合意が進められていることを発表している(以下参照)。

  • 2008年
    • 7月:羽田空港再拡張後の深夜・早朝時間帯において、日本とマレーシア双方の航空企業がそれぞれ週7便まで就航できる枠組み設定で合意したと発表。
    • 8月:同月13日まで開かれていた日韓航空協議で、2010年の羽田空港再拡張後に日韓双方の航空会社が羽田-金浦間で1日それぞれ6便計12便の定期便を運航させることなどで合意したと発表。
    • 9月:シンガポールとの航空協議において、2010年の羽田拡充後のシンガポール・チャンギ国際空港との路線の新設を合意した。
    • 10月:2010年10月以降に深夜・早朝枠を利用し、羽田とフランスの首都・パリにあるシャルル・ド・ゴール国際空港との間で日仏両国の航空会社が1日1便ずつの定期直行便を運航することで日仏両国が合意したと発表。なお、日本側の航空会社は日本航空が就航を検討していると報道されている[35][36]
    • 11月:2010年10月以降に羽田とイギリスロンドン・ヒースロー国際空港との間で日英両国の航空会社が1日1便ずつの定期直行便を運航することで日英両国が合意したと発表。羽田に発着するヨーロッパとの定期路線の復活が決まるのは成田空港開港以来初めてであり、フランスに続いて2カ国目になる。なお、日本側は日本航空と全日本空輸が、イギリス側はブリティッシュ・エアウェイズヴァージンアトランティック航空が就航に意欲を見せていると報道された[37]
  • 2009年
    • 2月2日:日本・タイ航空当局間協議の結果、深夜早朝枠で羽田とバンコクとの間に日本・タイそれぞれの航空会社に1日1便の就航が可能とする合意[38]
    • 2月9日:日本・オランダ航空当局と日蘭それぞれの航空会社が週7便で羽田とアムステルダムとの間で就航できるよう合意[39]
    • 3月19日:日本・香港航空当局間協議の結果、羽田の第4滑走路供用開始後、日本、香港双方の企業に対し、羽田の昼間時間帯を使用して双方1日2便ずつ、羽田―香港路線の開設を可能とし、成田空港及び羽田空港の深夜早朝時間帯と香港を結ぶ便数を旅客貨物の区別なく週70便まで可能とすることで合意したと発表した。
    • 4月3日:日本・ドイツ航空当局間で、羽田の第4滑走路供用開始後に羽田とドイツを結ぶ定期便を1日2便(週14便)まで運航できる合意をする。[40][41]
    • 4月6日:日本・カナダ航空当局間で、日本とカナダ双方の航空会社が羽田空港とカナダ国内の空港(バンクーバーもしくはトロント)との間にそれぞれ1日1便(週7便)まで定期便を運航できる枠組みが設定される。
    • 10月:羽田と台北松山空港(台北)との間で定期便を就航させることに向けて合意することを明らかにした[42]
    • 12月11日:日本の対中華民国窓口機関、交流協会と中華民国側の亜東関係協会は11日、羽田~松山(台北市)路線の開設などで合意した。第4滑走路の供用が開始され次第、1日に最大8便(8往復)が運航される予定。
    • 12月12日アメリカの首都であるワシントンD.C.で開かれていた日米航空交渉の中で、航空自由化(オープンスカイ)協定で合意したと発表。羽田・成田両空港については発着便数に余裕のない混雑空港として、これまで通り政府間の協議で便数を決定するとした。また、2010年10月の羽田空港再拡張事業完了後の夜間・早朝時間帯について、日米双方の航空会社が羽田とアメリカの空港を結ぶ旅客便の路線をそれぞれ4往復ずつ設定できることでも合意した。同協定の枠組みに含まれる「以遠権」も羽田発着便に適用されることになり、アメリカの航空会社は羽田以遠への第3国運航も可能となった。

羽田空港発着枠#新滑走路(D滑走路)と今後の展望」も参照

新東京国際空港開港以前に就航していた航空会社については、原則として新空港へそのまま移管されているので「成田国際空港」を参照されたい。

空港へのアクセス

東京都心部まで約15km(鉄道で約20分)。空港に至る道路は環八通り(新整備場地区から多摩川岸への羽田空港トンネル)を除いてすべて自動車専用トンネルのため、徒歩・自転車でのアクセスは一般的ではない。

鉄道

詳細は「空港連絡鉄道#東京国際空港(羽田空港)」を参照

画像:Keikyu HanedaAirport Station.jpg
京浜急行羽田空港駅(第2ターミナル側から)

バス

関東地方およびその周辺から、空港直通バスが乗り入れている。

  • すべて京浜急行バス(グループ会社を含む)または東京空港交通が運行しており、発着地により共同運行会社も乗り入れる。路線などの詳細は、上記バス会社項目を参照されたい。

首都高速道路

一般道

徒歩・自転車

  • 徒歩・自転車によって空港島に入れる道路は、穴守橋、天空橋、弁天橋がある。都道311号(環八)を多摩川沿いに直進し、羽田空港トンネルを抜けると新整備場駅方面に進むことができる。更に、国道357号沿いに整備されている歩道で各ターミナルに移動できる。
  • 空港敷地内に駐輪場はない。

事件・事故

羽田空港周辺や羽田空港の発着便で起こった航空事故ハイジャック事件は以下の通り:

エピソード

  • 2007年6月7日に、新国際線ターミナルの造成工事現場より、第二次世界大戦当時に使用されていた日本軍の対空砲が発掘された。
  • 羽田航空宇宙科学館推進会議が、空港周辺に航空宇宙博物館の建設を実現すべく活動を行っている[43]。なお同会議の顧問には、作家北杜夫柳田邦男らが就任している。

東京国際空港を舞台とする主な映像作品

関連項目

ウィキメディア・コモンズ

脚注

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外部リンク



東京国際空港

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